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学生記者が行く!

「謎の錨を調べ」に行く―後編

2011年12月1日掲出

 東海大学の各校舎で起こるさまざまな出来事や不思議な事象を調査する「大学新聞学生モニター記者が行く」。今回は前回に続いて、海洋学部のある清水校舎の入り口に鎮座する「錨」がテーマだ。「どこから来たのか、なぜここにあるのか、気になります」と話す学生モニター記者の加藤彩愛さん(海洋学部3年)が謎に迫った。


海洋学部を象徴する錨。「静かにたたずむ錨からこんなにもたくさんのことを語れるのかと驚きました」と加藤記者。「知らずに時がたってしまえばそれまで、というはかなさも感じますね」

「文字を消したような跡があります」と加藤記者が気付いた。実はこの錨の謎はほかにもあったのだ。「何が書かれていたのか、こればかりは分からない」と佐藤教授もお手上げだった

 前回で佐藤治夫教授(航海工学科航海学専攻)のもとを訪ねた加藤記者。佐藤教授は、学園の海洋調査研修船「望星丸」の運航を管理する船舶管理室の室長であり、航海工学が専門で錨についての論文も多い“錨のスペシャリスト”だ。教授の解説で、この錨がストックアンカーという日本では珍しいタイプの錨で、総トン数1000トン級の船舶に設置されていたもの、ということが分かった。

 ここで佐藤教授から気になる発言があった。「海洋学部に学生として在籍していた1960年代には、テニスコートの脇に埋まっていたんだよ」。

学部のシンボルとして 99年から現在地に?

「先生が学生のころには埋まっていたんですか!? なのに錨だと分かっていたなんてすごい」と加藤記者は驚きの表情。しかし、佐藤教授は「ストックだけ突き出ていたけれど、見れば錨だとすぐに分かるよ。そのころは“何に使うのかな”と思ってた(笑)」とにこやかに答える。

 「現在の場所にモニュメントとして置かれたのは1999年。当時の海洋学部長を務めていらした酒匂敏次先生の発案だったんだよ」

 あっさりと答えが出てしまったようだが、実は99年12月5日発行の『東海大学新聞』第766号にも「謎の錨 清水キャンパスのモニュメントに」と掲載されている。

 「それまで放置されていた錨を化粧直ししたんだよ。海について学ぶ教育機関は世界中にあるけれど、錨をシンボルに飾るのはそう珍しいことではないんだ」と佐藤教授。1号館の前をロータリーとして改装する際、併せて今の場所に設置されたのだという。

海洋学部設立前から? 謎に米海軍の影が

 「おそらく、この錨は東海大学がここに海洋学部を置く前、当時の東京商船大学清水分校(現東京海洋大学)だった当時からあったんじゃないかな」と佐藤教授は語る。

 商船大は61年に東京移転するまで、現在の清水校舎の土地に校舎を構えていた。東海大はその跡地を利用して63年に、海洋学部を設置した。「商船大のころに、何らかの事情で校舎内に置かれたのでしょう」

 「その“何らかの事情”が重要ですね! そういえば錨には“1945 USNAVY”の文字がありました。そして付けられていたのは約1000トン級の船舶。アメリカ海軍の軍艦が関連しているのか……。推理小説みたいになってきましたね」。加藤記者の目が輝く。

 「1000トンクラスの軍艦といえば、空母や巡洋艦では小さすぎる。駆逐艦ならちょうど当てはまるかな」と佐藤教授。加藤記者が推理する。「45年といえば第二次世界大戦の終戦の年ですね。清水の近くで海戦はなかったでしょうから、戦後に日本に来たアメリカの駆逐艦が退役することになって、この地に錨を残していったのかも。そこにどんなドラマがあったのかな……」

 「もう商船大当時を知る人も少ないだろうね」と佐藤教授。「この謎は迷宮入りですか」と加藤記者は残念な表情だ。

 「どなたか詳しいことをご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ情報を寄せて下さい。また取材にチャレンジします!」


佐藤教授の研究室で錨のメカニズムについても解説を受ける加藤記者。「錨の研究は、学問としての冒険に満ちた世界だと感じました。海洋にかかわる物事の奥深さをあらためて感じる機会になりました」

(記事提供:「東海大学新聞」2011年8月1日号)

関連リンク:海洋学部
http://www.u-tokai.ac.jp/undergraduate/marine_science_and_techno/index.html

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