「平和のための基礎体力」構築を NGO通じて「世界的市民」に 政治経済学部政治学科 中沢和男教授

 エジプトの軍事クーデター、シリアの内戦、モンゴルのマンホールチルドレン--。世界各地から紛争や環境破壊、貧困といったニュースが絶え間なく流れてくる。私たちはそれらをどう捉え、どのような行動をとればよいのだろうか。東海大政治学科の中沢和男教授に現代社会における国際協力のあり方について聞いた。【聞き手・デジタルメディア局 江刺弘子】

 --国際協力という考え方はいつごろから生まれたものですか。

 産業革命以降のヨーロッパは、物流や交易が盛んになるにつれ、国境が妨げとなって、郵便や鉄道など暮らしに必要なものに不都合が生じてきました。国境を越えて流れるライン川では、航行に際してそれぞれの国や領邦で税金を徴収されます。そこで川を国際的に管理したり、郵便物を同一料金にしたりと、交通や通信、長さや重さの単位などきわめて生活に密着したことを徐々に統一し、それを管理する組織ができあがってきました。

 交通や通信といった生活に密着した事案で国際的に協力しあうというのは、経済や生活が国境を越えて行われているところでは特別なことではなく、当たり前のことです。

 今日では、国際協力は政治的な意味でも当たり前のことです。国際社会の一員として、いわば国際法で結ばれた国々が「同士」として協力するのは当然だからです。ただ支援の方法となると簡単ではなく、そこに難しさがあります。

 --日本の国際協力の現状はどのようなものですか。

 NGOに関してお話しさせていただくと、資金力の弱さが気になります。2010年度の国民1人当たりの援助実績は6.1ドルで、途上国支援を行っている国の集まりであるDAC(開発援助委員会)23カ国中16番目です。ODA(政府開発援助)に占めるNGO補助金も1.3%で、これも12番目です。

 NGOは財政基盤がよくない中、発展途上国で政府機関がためらうような現場にまで足を踏み入れ、そこで現地の人々の立場に立った、本当にいい仕事をしています。

 --NGOの活動は、金銭や物品の援助といった直接的なものから、教育支援など内容も拡大していますね。

 当初は緊急支援が中心でしたが、今では小さな社会に入って地域を活性化させ、学校運営の手伝いや役人との間に立つなど、さまざまな活動をしています。途上国では最低賃金や貧困のための法が整備されていても、現地の人は知らないといったケースも多く、NGOが村と役人との間に入って、村民が社会的能力をつける手助けをしています。

 NGOは国民が支えていくべきものです。個人的な意見ですが、私たち国民は生涯にわたって、貧困とか教育など自分の関心のある分野で、1つか2つのNGOの活動を支援していくべきでしょう。

 自らが支援するNGOを通じて途上国の人々の生活を知り、途上国の人々とつながるべきだと思います。学生には、NGOが開く報告会やセミナーに参加したり、NGOが提供するプログラム等を利用してその活動現場を体験することを勧めます。

 最近の日本はひところよりもNGOへの関心が減ってきているように感じます。しかしNGO関連の情報は充実してきており、その気になれば、国内や世界にどのようなNGOがあり、どのような活動をしているかは、インターネットで簡単に調べることができます。国際協力NGOセンター(JANIC)は途上国で活動する日本のNGOに関して多くの情報を提供しています。

 --私たちが国際協力に関わるうえで、注意すべきことはありますか。

 よく学生が現地での井戸掘りなどを想定して、「体力には自信があります。向こうでバリバリ働きたい」なんて言うことがあります。しかし人並み以上の体力は必要ないのです。井戸を掘るにしても、日本から何もかも働き手まで用意してしまうと、現地の人々の働くチャンスを奪うことにもなります。あくまでも後方から足らない部分を補うという姿勢が重要です。支援の現場では、むしろ帳簿がつけられるとかきちっとした文章が書けるといったごく普通の実務能力や広い意味でのコミュニケーション能力が求められています。

 また何気なく行うことが、NGOの活動現場にもめごとのタネをまいてしまう可能性があります。かつてアフリカのある学校を訪れた時に、案内してくれたNGOの職員から消しゴムやボールペンをあげるなら子供たち全員に、写真を撮ったら、あとで必ずそれを送ってやってほしいと言われたことがあります。自分の周囲に来た子供たちにだけささいなものだからと考えて安易に物を与えると、後でもめごとになることがあるのです。一生のうちで数回しか写真を撮る機会がない地域では、撮ってもらった写真を心待ちにしています。こちらは気軽にシャッターを押しても、子供たちの方はそうではないのです。

 善意でやったつもりが、想定外の結果に終わることもあります。たとえば、現地の権力者が提供してくれた土地に村民のためのトイレを作ったのですが、支援したNGOが去ってしまうやいなや、その権力者が村民にトイレの使用料を請求したという話があります。

 支援の仕方は本当に難しく、今でも「これだ」という決定打はありません。自己満足に陥らないよう、つねにこれでいいのかと自問自答し続けるべきだと思います。また現地で長く活動しているNGOの人々から多くを学ぶべきでしょう。

 よく欧米には寄付の文化があり、日本にはないといわれます。しかし欧米では宗教がらみの寄付も多く、そういったことが少ない日本の寄付は「本当の善意」からのものであるかもしれません。

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