より多く「人を救う」ために
24時間体制の救命救急医療を担う

東海大学医学部付属病院高度救命救急センター
猪口貞樹所長

 医療の現場を舞台にしたテレビドラマなどで広く知られるようになった「救命救急医療」。救命救急医療に当たる医療機関の中でも、生死の境をさまよう重症患者を専門に受け入れる第3次救急を担うのが「高度救命救急センター」だ。救急車やドクターヘリで次々と運ばれてくる重症の急患を、365日24時間体制で受け入れている東海大学医学部付属病院高度救命救急センターの猪口貞樹所長(東海大学医学部付属病院病院長、医学部医学科外科学系救命救急医学・教授)に、救急医療の現場について聞いた。【毎日新聞社デジタルメディア局 仲村隆】

--「高度救命救急センター」について説明してください。

 救急医療のテレビドラマが話題になるなどマスコミに取り上げられる機会が多くなったので、一般の方々の救急医療への関心は高まったと思っています。当院に設置されている高度救命救急センターは、神奈川県の湘南地区など主に県内の西部地区を担当する第3次救急医療施設で、生命にかかわる重症患者さんを受け入れて治療しています。また、医師や看護師が乗り込んで治療をしながら患者を運ぶ県のドクターヘリの運用も委託されており、県内全域や隣県の山梨や静岡からも患者さんを受け入れています。

--高度救命救急センターが果たしている第3次救急医療とは何ですか?

 救急医療の受け入れは、患者さんの「重症度」に応じて第1次、第2次、第3次救急の3段階の体制を採っています。帰宅可能な軽症の患者さんは第1次救急医療を担当する「休日夜間急患センター」や当番病院で診ていただいています。第2次救急医療は入院治療や手術を必要とする重症者が対象で、規模のある病院が交代で受け入れています。

 そして第3次救急医療は、2次救急で対応できない患者さんを担当しています。心肺停止状態や意識障害など一刻を争う重症患者さんの救命治療ができる「救命救急センター」や「高度救命救急センター」が対応しています。

--救命救急センターと高度救命救急センターの違いは?

 全国に250カ所以上の救命救急センターがありますが、さらに特殊で高度な診療機能を備えたのが高度救命救急センターです。重症熱傷(やけど)や指肢切断、急性中毒など治療が難しい患者さんを受け入れるための施設で、国の指定で全国に32ケ所あります。(神奈川)県では県東部を担当する横浜市の「横浜市立大学付属市民総合医療センター」と県西部を受け持つ私どもの2カ所があります。

--開設から30年の歴史がありますね。

 85年に救命救急センターの制度ができた当時、県では4カ所が指定され、その一つとして診療にあたってきました。02年から国の高度救命救急センターの認可を受けました。年間で、救急車で約7000人、ドクターヘリは250〜300人が運ばれてきます。

 受け入れている症例としては、心肺停止、意識障害、多発性外傷、重症熱傷(やけど)、急性中毒、指肢切断、脳血管障害、虚血性心臓疾患など、いずれも重症で一刻も早い治療が必要な患者さんばかりです。ドクターヘリが広域をカバーしているため、専門的な治療が必要な外傷、中毒、やけどなどの患者さんが運ばれて来ることが多く、受け入れ患者数は国内でもトップクラスといって差し支えないでしょう。

 センターを開設した頃は、交通事故に遭った方が圧倒的に多かったです。それが、道路事情が改善され、車の安全技術の進歩やシートベルトの着用義務化などで交通事故の死者は減っています。これに伴って交通事故でセンターに運ばれてくる患者さんの割合も減りました。

 代わって増えているのは高齢の患者さんです。脳卒中や心筋こうそくなどの病気で運ばれて来るケースが増えています。また、高齢者の方の中には、転んで頭を打ったようなちょっとしたけがから重傷となるケースも多くなってきています。

 介護施設や在宅で介護を受けられている高齢者の方が意識不明など重い症状で運ばれてきても、患者さんの家族が治療を拒んだり、治療後も回復具合が思わしくなく自宅や施設に戻れないことも起きます。とてもセンターだけでは解決できない問題で、自治体や地域の医療機関、福祉施設などとも連携を取って対応していかなければなりません。患者さんの命を救ったらそれでおしまいというわけにはいかなくなっています。

--救命救急医療に携わるきっかけは?

 元々は外科の医者でした。大学病院で救急医療を充実させようということで救命救急センターを作るということになり、上司に「行ってみないか」と言われたのがきっかけでした。

 センターが始まった(85年)当初はまだ24時間体制で高度な医療・看護を行うための専用の集中治療室もなく、輸血に至っては常時用意されておらず、そのたびに日本赤十字の血液センターに依頼するという状態でした。いつでも急患を受け入れて、命を救うという仕組みがなかった時代でした。

 設立されたセンターに医師は私を含めた2人だけ。研修医も配属されていましたが手探りで救命救急のシステムづくりの毎日が続きました。年間100件以上の手術をこなし、患者さんが続くと2晩3日の連続勤務で5件の手術をしたこともありました。まだ30代の半ばでしたから体力もあったんでしょうけど、熱意があったからこそ続けられたのだと思います。

 当時は医師を含めたスタッフの熱意が救急医療を支えていました。今振り返ると、ほとんど家に帰らなかったし、帰っても急患で呼び出されたため、家にはほとんどおらず、家族には迷惑をかけました。

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