ストレスチェック義務化の課題と可能性
職場の信頼感を生む「共感」のコミュニケーション

文学部心理・社会学科
浅井千秋教授

 過労死や自殺が社会問題になり、労働者のストレス改善が求められている。うつ病などの精神的疾患を未然に防ごうと、従業員50人以上の全事業所でストレスチェックを実施することを義務化する改正労働安全衛生法が2014年6月に成立し、15年12月に施行された。ただ、チェックはできてもその後の対応に不安の声は多い。ストレスチェックの活用について、職場や人間関係のストレス対処を研究し、管理職への研修も行っている東海大学文学部心理・社会学科の浅井千秋教授に聞いた。【毎日新聞社デジタルメディア局 中嶋真希】

--ストレスチェック義務化の背景は。

 働く人に、困難な課題が課せられる時代になってきました。長期的な不況の中で、少ない人数で多くの仕事をこなさなくてはならない。時代の変化が早く、消費者の要求は厳しくなり、どんどん新しいサービス、商品を考えなければならない。問題を起こせばすぐにネットで広まってしまう。こうしたことから、仕事が原因でうつ病などの精神的疾患が増えていますし、仕事の過労による自殺がマスコミで取り上げられるなど、社会問題化しています。

 ストレスチェックの実施には、仕事のストレスで苦しんでいる人を救うべきという福祉的な理由と、医療費の増大という財政的な問題もあり、病気になる前に防ぎたいという考えが背景にあります。企業の中だけでは解決が困難ですので、国が全体としてサポートしていく必要が生まれたと思います。

--根性論も根強く残っていますが、だいぶ理解が進んだということでしょうか。

 精神的な問題に対する関心が強くなってきたというのもあります。世論調査では、80年代から「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を重視する人が多くなりました。人々が心の問題を理解するようになり、心の問題がある人を助けてあげようという意識になっていったのではないでしょうか。

「ストレス」という言葉も良かったのでしょう。「精神的な病気」というと、周囲からは「あの人は病気だ」と思われ、当事者も悪いレッテルを貼られたような気持ちになってしまう。そうなると、医師に診断されても認められなかったり、周りに公表できなくなってしまいますが、「ストレス」なら誰にでもあるものという認識があります。

 管理職など指導する側にも「根性で乗り切れ」ではなく、コーチングのように科学的に有効な方法で人を指導するほうがいいという動きが生まれました。あまり厳しく指導するのは危険だと認められるようになったのです。

--ストレスチェックを実施する雇用側の課題は。

 従業員の精神的な問題をケアしやりがいを感じて働ける環境づくりをした方が生産性が上がると考える企業なら、ストレスチェックをしっかりと実施し、問題があっても支援的に対応することができるでしょう。

 問題は、そういう人たちを切り捨てて、別の人を雇えばいいと考える企業です。ストレスチェックの結果は雇用側に伝わらない仕組みですが、本人が医師の面談や仕事上の改善を求めれば、それを理由に、不当な待遇をする恐れがあります。職場ごとの統計結果から、「あいつじゃないか」と探り当てることも起こりうる。

--危険性は、十分議論されていますか。

 いいえ。最終的には、ストレスチェックから得られた情報をポジティブに使うか、それともネガティブに利用するかは企業の方針次第です。労働者の権利が侵害されないかどうかについては、安心できるとは言えません。

 企業の上層部には会社や仕事のために自己犠牲的に働くことがよいという価値観を持っている人が多く、「体をこわすほどの仕事をするのはおかしい」という感覚がない経営者もいます。働かせすぎる会社が多いし、それを取り締まる側の行政も「長時間労働をやめさせなくては」という意識が低いため、厳しい対応をしてこなかった。自殺、過労死など問題がどんどん深刻になってきて、やっと対処しようと動き始めたところです。

--労働者側にメリットはありますか。

 精神的疾患は、本人が自覚しないまま進行することが多いので、グレーゾーンの段階で自覚できれば役に立つはずです。ただ、本人が結果を見て「ストレスなんて、誰にだってある」と軽視することも考えられます。過労死する人の多くが、直前に周囲から「大丈夫か」と心配されても自覚できない。また、本人が何とかしたいと思っても、過労状態を放置しているような企業が対応してくれるかどうか。

--労働者自身が情報をどう使っていくかというところまで、議論が進んでいないのですね。

 そうです。ストレスを改善する対処法についても、情報を提示していくことが大事。ただ、ストレスの深刻さを伝えても、みんなが受け止めてくれるとは限りません。

 あまりにも怖い情報を打ち出されると、人は防衛反応が働いて「私には起こらない」と情報を打ち消してしまいます。解決の方法としては、より具体的な解決策を提示してあげること。病院やNPOなど、さまざまな窓口を提示して相談する垣根を低くしたり、日光浴やウォーキング、ヨガや座禅など、個人でできるストレス解消法の情報を得られるようにするといいでしょう。

 心理学的には、認知行動療法といって、否定的な見方を肯定的に変える方法が効果があると言われています。部下にイライラする人なら「仕事ができない、だめなやつだ」と思うのではなくて、「自分も若い時はうまくできなかった」「まだ学んでいる途中だから、失敗しても仕方ない」と思うようにする。自信が持てない人なら、「一歩一歩できるようになる」と思う。前向きといっても「きっとうまくいく」とばかり思っていると挫折してしまうので、「失敗は誰でもする」と思うようにすると、柔軟に対処できるようになります。

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