中世ドイツから見る現在

文学部歴史学科
三佐川亮宏 教授

 難民の流入やテロが続くヨーロッパで、ドイツは中心的な存在だ。大国ドイツはどのような歴史を経て現在の姿になったのか。優れた業績を上げた研究者に贈られる日本学士院賞に、中世ドイツ史の研究によって選ばれた文学部歴史学科西洋史専攻の三佐川亮宏教授に、歴史を学ぶ意味を聞いた。【聞き手・銅崎順子】

 ――著書『ドイツ史の始まり―中世ローマ帝国とドイツ人のエトノス生成』(2013年)で、今年度の日本学士院賞に選ばれました。同書では既に東海大の2016年度松前重義学術賞も受賞されています。

 『ドイツ史の始まり』は、10年ほど前に執筆した博士論文を研究書にまとめたものです。私が大学院生のころは、文系では学位を取得することなく就職するのが一般的で、教授たちも博士号はもっていませんでした。しかし、文部科学省による大学院改革が進むなかで、若い世代が学位を取得するのが一般化したので、下からのプレッシャーも手伝って、重い腰を上げて博士論文を書くことにしました。40代半ばごろの約4年間集中的に取り組み、東日本大震災の起きた2011年3月に授与されました。その後、ウィーンとベルリンに半年間留学し、専門書として出版したのは2013年です。今から振り返ると、未熟な部分もあって過去の仕事という気もしますが、750ページの大作にチャレンジできたのは、ひたすら若さのなせる業ということでしょう。

 学士院賞は、旧帝大系の大御所クラスに授与されるという印象が強かったので、受賞の知らせを聞いた時は正直なところ驚きましたし、同時に自分にはキャリア・年齢のいずれにおいても分不相応かなとも思いました。ただ、地味な研究ではありますが、問題を分析する多角的な視点と、膨大な史料を駆使した文献実証主義的方法が高く評価されたことは、うれしい限りでした。授賞式には天皇・皇后両陛下がご出席され、研究内容を直接ご説明することになっていますので、今はその準備に追われています。

 ――高校の世界史で、気がついたらドイツが出てきたという印象があります。神聖ローマ帝国やハプスブルク家は今のドイツと重なりますが、中世ドイツってなに?ドイツの始まりって?という人が多いのではないでしょうか。『ドイツ史の始まり』では9世紀中ごろに国家の基本的枠組みが姿をあらわし、「ドイツ人」という民族名が出現するのは1000年頃、「ドイツ」という国家と民族の名前が定着したのは、ようやく12世紀前半になってからと論じています。

 確かにドイツの歴史は、複雑で分かりにくいですね。古代ローマ帝国が東西に分裂し(395年)、このうち476年に滅亡した西ローマ帝国の延長線上に、カール大帝のフランク帝国(800年)、そして(フランスを除いた)神聖ローマ帝国(962年)が誕生します。これは、現在のドイツ、オーストリア、スイス、イタリアを含む巨大な帝国です。隣国のフランスやイギリスは、国王を頂点に、言語・法・文化などにおいて比較的同質の民族が王国を形成し、その後近代の国民国家へと連続的に展開していくのですが、ドイツの場合「帝国」という多民族から構成される空間を枠組みに、複雑なプロセス経て誕生しました。この帝国は、実にナポレオンによって解体される1806年まで存続しました。現代世界で近いイメージは、旧ソ連や中国といったグローバル国家でしょう。

 「ドイツという国はいつ誕生したのか」というテーマは、ドイツでは19世紀から繰り返し論じられてきた問題です。当時のドイツ人は、国民国家形成のモデルであるフランスやイギリスを強く意識しつつ、自らが近代化に遅れた後進的国民であるとのコンプレックスを抱いていました。そこで、「共通の言語」を軸とする太古のゲルマン民族の時代までさかのぼる民族の連続性というフィックションを構築し、過去の偉大な帝国の歴史の中にライバルをしのぐ自らの正当性を探し求めたのです。19世紀の国民国家の枠組みを過去の歴史の中に持ち込む、こうした「ナショナル・ヒストリー」の歴史の見方は、東欧革命、そして統一ドイツを中心に欧州連合(EU)が結成された1990年代以降になると、修正を迫られることになります。私自身は、偶然ですがこの変革期のさなかの1987~90年、当時西ドイツの首都であったボン大学に留学しており、時代の転換を肌で感じることができました。また、外国人研究者としての視点で、伝統的テーマを再検討する機会に恵まれたと思います。『ドイツ史の始まり』ではこれまでのドイツ人のナショナル・ヒストリーとは違って、「帝国」という巨大な枠組みをプラットホームとし、「外」でのさまざまな民族との異文化接触を通じて初めて、「内」に向けての「ドイツ人」あるいは「イタリア人」という民族的アイデンティティーが芽生えていったのではないか。そうした広い視野で、250年間の歴史を再構成してみました。
 日本人に置き換えるならば、日本一国だけで見るのでなく、「アジアの中の日本」という視点です。ローカルな次元を超えた「日本人」という超民族的意識が育まれたのは、アジア全体の中での異文化接触、あるいは黒船来航という「外」からの衝撃を通じて初めて可能になったのではないでしょうか。

 ――ドイツ中世史を研究するきっかけは?

 子どもの頃から日本史が好きでした。NHKの大河ドラマで「新・平家物語」(1972年放送)がとてもおもしろく、平安時代後期から源平時代に興味を持ちました。大学に進学後、日本史に進もうかと思ったのですが、漢文講読を主体とする講義が難解で、西洋史に方向転換しました。ドイツについては、自分の性格にマッチしていたのと、高校時代に読んだトーマス・マンなどのドイツ文学の世界にひかれたのだと思います。

 20代後半の大学院博士課程在学中に初海外で3年間留学したのですが、当初予定していたケルンの地域史研究については、日本人研究者としての限界を痛感し、相当悩みました。たまたま訪れた講義で、ハインツ・トーマス先生の面識を得て、「ドイツ」という言葉の歴史から民族のアイデンティティー問題を探るというテーマに取り組むことになりました。結果的にトーマス先生に師事することができ、本当にお世話になりましたので、後に論文集『中世の「ドイツ」―カール大帝からルターまで』(2005年)を感謝の意も込めて翻訳させていただきました。

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