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東京2020への伝言

/7 女性映画監督、カンヌで最高賞 東洋の魔女、もう一つの「金」 私財投じ晩年も自主製作

映画監督になった頃の渋谷さん=渋谷昶子監督を偲(しの)ぶ会提供
東京五輪女子バレーボール決勝でソ連を破り、金メダルを胸にくつろぐ選手たち

 飛んでくるボールに女性たちが体を投げ出し、転がったあと懸命に立ち上がる。半世紀前に「東洋の魔女」と呼ばれた世界最強の女子バレーボールチーム日紡貝塚(大阪府貝塚市)。その傍らでカメラを回す女性がいた。

     主力選手たちは1964年東京五輪代表として世界を制した。彼女たちを追った記録映画「挑戦」で渋谷昶子(のぶこ)監督は同年、仏カンヌ国際映画祭短編部門で日本初のグランプリに輝いた。「東洋の魔女」に寄り添い、別の「金メダル」をとった女性を知る人は多くない。

     五輪メンバーの井戸川(旧姓・谷田)絹子さん(77)に昨年末、久しぶりに「挑戦」を見てもらった。当時、練習は終業後の夕方から深夜、未明に及び、大松博文監督は「防御は最大の攻撃だ」と練習の大半を守備強化に充てた。倒れているところへボールを容赦なく投げつける監督に、谷田選手が食ってかかり、体を押すシーンがある。「監督は私に厳しかった。根性があると見込まれていたんです」と懐かしんだ。それでも、傍らの女性監督については「かわいい感じの人だった……」と記憶のかなたにかすむ。

        ◇

     渋谷さんは14歳で中国大陸から父の故郷の鹿児島に引き揚げた。男尊女卑の空気に反発し、弁護士になろうと中央大法学部へ進んだが、途中で映画の世界に飛び込む。映画製作を支える記録係として10年働いたが、作品の中身に少しも関与できない。30歳のある日、仕事道具のストップウオッチを踏みつぶし、監督になる決意を固めた。そのころに「東洋の魔女」と出会った。

     63年、撮影前に選手と寝食を共にし、風呂で背中を流す関係を築いてクランクインの日を迎えた。「よーい、スタート!」。声を出すと体育館内の撮影用の照明が突然消えた。「監督は女か」と不満を抱く男性スタッフたちの嫌がらせだった。渋谷さんはその場に黙って正座し続けた。照明係がしびれを切らして明かりをつけ、撮影が始まった。映画界は女性監督不毛の時代だった。

     彼女の成功は映画界に変化をもたらす。広告映像の電通映画社(現・電通テック)は64年、監督に育てる女性を初めて採用。この時に入社した後進の日笠宣子さん(75)は「彼女がいなければ女性進出はもっと遅れていたはずです」と話す。テレビはカラーとなり、女性目線のCM映像の需要は飛躍的に伸びていった。

     一方、渋谷さんは30代前半で離婚。花開く消費社会に背を向け、フリーの立場で女性や障害者が懸命に生きる姿を撮り続けた。晩年は自主製作も多く、費用の工面で自宅マンションを売り、持てる全てを映画に注いだ。

        ◇

     80歳を超え生活保護を受けていた渋谷さんは2014年1月、古びたアパートから福祉施設に移る。

     昨年2月1日。足を骨折し体調を崩して入院していた渋谷さんを、かつて一緒に仕事をしたカメラマンの重枝昭典さん(57)が仲間2人と和食レストランに連れ出した。うなぎを食べ、大好きなビールを大ジョッキ1杯飲んだが、デザートの白玉団子を口に入れると、のどにつまらせた。享年83。「連れ出していなければ……」と重枝さんは悔やむ。

     3年前に施設に移ってから見守ってきた仲間たちは「20年東京五輪で、また映画を作ろう」と、よく声をかけていた。元気にうなずく渋谷さんは、自分の生き方にみじんの後悔もない、すがすがしい表情だったという。【村上正】=つづく

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