メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

五輪アイスホッケー

小さな守護神、磨いた自信 藤本那菜

笑顔を見せる日本代表のGK藤本那菜=東京都西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで2018年1月24日、手塚耕一郎撮影

アイスホッケー女子・藤本那菜(28)

 柔和な物腰が、氷上に立つと一変する。ひな祭りの日に生まれた道産子は、五輪初勝利を期すアイスホッケー女子日本代表の守備の要になる。2015、16年の世界選手権、昨年の五輪最終予選はシュート阻止率が90%超。「4年の準備期間がしっかりあった。『2度目の五輪だから』って緊張もしていない」。決戦を目前に控えても冷静でいるのは、確かな経験を積んだからだ。

 5戦全敗に終わった14年ソチ五輪後の決断は思い切ったものだった。15年の世界選手権でベストゴールキーパー(GK)に選出されると、ソチまで五輪5大会連続メダル獲得の強豪・米国に目を向ける。同年春に発足したばかりの女子プロリーグNWHLのトライアウトを受け、ニューヨーク・リベターズとの契約を勝ち取った。「女子のプロリーグができるなんて昔は考えられなかった」。夢に見ることすらなかった舞台に立つことに、高揚せずにいられなかった。

 ニューヨークの街中の一軒家に米国選手2人、ロシア選手1人との共同生活。練習で感じたのは、選手と指導者との関係性の違いだった。「日本は監督やコーチの指示に従うことが多いけど、米国では選手がどんどん意見する。意思を表現する大事さを学んだ」。技術面は、何かを新しく学ぶより、積み重ねたものを磨き上げる重要性に気づかされた。

 身長164センチは欧米選手に比べ小柄だ。体格差やスピードに戸惑うこともあったが「(ゴール前の)位置取りと自分のスケーティングが正確なら、シュートはある程度止められると思った」。日本代表が米国選手と手合わせする機会はそうそうない。在籍は1年。それでも、リーグ戦で定期的に世界レベルの選手のシュートを体感できるのはGKとして何より収穫だった。

 1972年札幌五輪のアイスホッケー会場だった月寒体育館がある札幌市豊平区出身。「気づいたらやっていた感じ」と小学1年で競技を始めると、小学5年でGKに。「フィールドプレーヤーとしては上手ではなく、チームにGKがいなかったから役割が回ってきた。まさかここまでくるとは思わなくて」。縁に結ばれた競技生活でもある。

 試合で着用するマスクは、ソチでは黒地に花模様だった。「和」の路線は平昌でも継続し、水墨画のようなタッチで松、竹、梅をあしらった。初白星、そしてチームが目指すメダル獲得の吉兆を身にまとい、鉄壁の防御を築き上げる。【岩壁峻】

毎日新聞のアカウント
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです

[PR]