メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

スポーツ庁長官と語る 2020への決意:鈴木大地×原希美 おりひめJ 44年ぶり五輪へ

ハンドボールの競技力向上への期待などを語るスポーツ庁の鈴木大地長官=根岸基弘撮影

月刊東京五輪

鈴木大地×原希美 おりひめJ 44年ぶり五輪へ

 スポーツ庁の鈴木大地長官が東京五輪に向けてアスリートや指導者と率直に意見をかわす「長官と語る 2020への決意」は、女子ハンドボール日本代表「おりひめジャパン」の原希美(のぞみ)主将(27)=三重バイオレットアイリス=を迎えた。女子は今年、熊本県で開催される世界選手権(11月30日~12月15日)に臨む。開催国枠で44年ぶりに出場する2020年東京五輪へのステップとなる大会に向け、強化の現状や課題などを語り合った。対談には、1988年ソウル五輪男子代表で、日本ハンドボール協会の田口隆専務理事も同席した。【構成・倉沢仁志】

    鈴木大地スポーツ庁長官(左)と対談し、笑顔を見せるハンドボール女子日本代表の原希美主将=根岸基弘撮影

    世界選手権開催の熊本、プレーで元気に

     鈴木 2019年はハンドボールイヤーですね。熊本で開かれる世界選手権の目標を聞かせてください。

     原 メダル獲得です。日本でハンドボールの世界大会があるのは、競技をメジャーにする良い機会だと思います。たくさんの人にハンドボールを知ってもらいたいです。

     鈴木 16年4月に熊本地震があり、被災地でもあります。特別な思いはありますか。

     原 熊本の人たちは、トライアルゲームや合宿でも本当に温かく迎えてくれます。たくさんの人が被災され、悲しい思いもされたと思う。自分たちのプレーで感動してもらい、「元気をもらった」と言ってもらえるように恩返しをしたいです。

     鈴木 ぜひ勇気づけてほしい。そして、その先に東京五輪があります。

     原 今回は開催国枠で五輪に出場できますが、「出て満足ではいけない」とチーム内でよく話しています。出るからにはメダルを取らなければいけないという使命感の下、練習に励んでいます。

     鈴木 15年に愛知県で行われたリオデジャネイロ五輪アジア予選は、原選手も出場しました。私は中国戦で応援に行き、29―19で勝って、連勝。「これでリオだ」と思っていたんですけど……。その後、残念でしたね。

     原 出場権をかけた試合で韓国に21―35で大敗しました。その後の世界最終予選でも勝ちきれず、五輪切符を逃しました。

     鈴木 リオ五輪はどんな気持ちで見ていましたか。

     原 「絶対にリオに行く」という気持ちでアジア予選を戦っていました。負けた後は、気持ちがハンドボールに向きませんでした。すごく落ち込んで、リオ五輪自体を見るのがすごく嫌で、悔しかったです。

    ハンドボールの競技力向上への期待などを語るスポーツ庁の鈴木大地長官=根岸基弘撮影

     鈴木 最後に日本女子が五輪に出たのは1976年モントリオール五輪です。

     原 これまでの素晴らしい先輩たちでも五輪に出られなかったということは、その壁はすごく厚いんだなと思います。

     鈴木 それにしても、韓国は強いですね。違いはどこにあるのでしょう。

     田口 88年ソウル五輪に向けて、国を挙げて強化に励んだところが大きいです。また、日本は、これまで普及に重きを置いてきましたが、韓国は競技力向上に力を入れています。小学校、中学校、高校と一貫した指導体制も大きいです。日本は00年ごろまで指導方法がバラバラになりがちでした。

     原 日本と戦うまでの試合を見ていると、「韓国の力はそうでもない」と感じるのですが、日本との対戦になると、ギアが変わります。韓国は180センチ超えの選手が多く、体格差がありますね。 鈴木 リオ五輪の出場権を逃し、監督が新しく強豪・デンマークで女子代表コーチを務めたウルリック・キルケリー監督になりました。栗山雅倫前監督からキルケリー監督になり、どう変わりましたか。

     原 栗山前監督のときは、細かく、厳しい部分もありました。でも、キルケリー監督になってからは、ひと言で言えば自由です。個々の判断に任せる部分が多い。一人一人の責任や、自立がすごく求められていると感じます。

     田口 国際経験が必要と考えた時、世界を舞台に活躍する指導者を招きたいと考えました。キルケリー監督は弱点をつぶすというよりも、長所を伸ばして勝負するようなチーム作りをしています。ここは今までとは違う部分です。

     鈴木 また、原選手は新体制となってから、主将に指名されました。チーム内でどういう役割を果たしていますか。

     原 主将を任された時は、「私で大丈夫なのかな」というのが率直な気持ちでした。

     鈴木 でも、所属チームでも主将をされています。やはりキャプテンシーがあるのでは。

     原 いや、私自身は主将タイプではないと思っていて……。代表の主将になるタイミングで所属チームでも主将になりましたが、実は高校、大学で主将はしていません。不安な気持ちはあったのですが、指名されたからには自分の思いや気持ちをしっかり一緒に戦うチームメートに伝えられるように頑張ろうという気持ちでやっています。キルケリー監督の就任した16年6月から主将をしているので、2年半くらいです。

     鈴木 主将としての実感は。

     原 周りの選手に助けられながらやっています。少しずつ主将らしくなったのかな。選手同士でミーティングをする時には、率先していろいろ話します。キルケリー監督とは日本語で会話をするのは難しいので、選手の意見を集約して通訳してもらい、監督に伝えています。

    熊本県で開催される世界選手権への抱負などを語るハンドボール女子日本代表の原希美主将=根岸基弘撮影

    17年にはロンドン銀チーム降す

     鈴木 キルケリー監督体制で迎えた17年世界選手権(ドイツ)では、1次リーグを突破して決勝トーナメントに進出しました。8強入りをかけてオランダと対戦しましたが、もう少しでしたね(24―26で敗戦)。

     原 強豪国が多く、周囲からは1次リーグを突破するのも無理だろうと言われていました。でも戦っていく中で、12年ロンドン五輪準優勝のモンテネグロに勝利するなど、強豪とも互角に戦えるようになりました。オランダ戦もみんなが自信を持った状態で、前回大会準優勝チームに絶対に勝つ気持ちで臨んだのですが、20―20で延長戦にもつれ込んでからは、オランダの個々の強さにやられてしまいました。ただ、以前に比べてチームとしての手応えはあります。

     鈴木 昨年の11月から12月にかけて行われたアジア選手権(熊本)では3大会連続で準優勝。もう一歩でした。またも韓国の壁に阻まれましたね。

     原 前半は15―14とリードして折り返しましたから……。

     鈴木 後半ですか。韓国の選手は死にものぐるいで来ると聞きましたが、勝つには何が必要ですか。

     原 私がアジア選手権で感じたのは、メンタル面でした。今までは大きな大会を日本でやることが少なかったです。今回は熊本でのアジア選手権で、たくさんの人が応援に来てくれました。そういう環境で試合をした経験もあまりなく、プレッシャーに負けていた部分もあったのかなと感じました。

     鈴木 チームとして、どう強化すべきだと感じますか。

     原 世界の強豪国との対戦では、最終的な課題はいつも「個」の強さです。チーム力は日本の武器。大きい相手に対しても速さと組織力で勝負して良い試合ができています。でも、最終的に個々の強さに押し込まれて負けるというのがあるので、世界選手権や五輪まで時間もありますし、体力面を強化して臨みたいと思っています。

    結果を出し、よりメジャーな競技に

    記念撮影するくまモン(中央)とハンドボール女子日本代表の選手たち=東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで2018年11月15日、倉沢仁志撮影

     鈴木 ところで、冒頭でハンドボールを多くの人に知ってもらいたいと話していましたが、まだメジャー競技とは言えませんか。

     原 まだまだマイナーだと思います。

     鈴木 スポーツ庁でも17年6月から、才能のある選手を全国から発掘して育成する「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J―STARプロジェクト)」を行っています。ハンドボール界での手応えはどうでしょうか。また、どうすれば、メジャーにできると。

     田口 J―STARプロジェクトは昨年度の1期生が7人。このうちの1人が、ソフトボールからハンドボールに転向した選手です。高校入学と同時にハンドボールに転向し、16歳以下日本代表に選ばれた逸材です。将来、(五輪などに出場する)日本代表がこのプロジェクトから出てくると期待しています。

     原 メジャーにするには、やはり結果が大事ではないかと思います。ハンドボールの楽しさや一人一人のキャラクターも売っていきたいと思います。

    三重バイオレットアイリスと日本代表の両方で主将を務める原希美選手=マークスリーデザイン提供

     鈴木 4年前のラグビー・ワールドカップは、出発前にメディアが数人しかいなかったと聞きました。ところが帰ってきたら、もう考えられないくらい人がいたと。手のひらを返したようなことはありますから。

     原 本当にメディアも見返したいですね(笑い)。

     鈴木 世界選手権、五輪とチャンスもありますから、生かしていただきたい。何とか歴史を作っていただきたいと思います。現在、原選手は日本代表の国際試合で69試合、199得点ですね。歴代1位は606点ですが、その辺はどうですか。

     原 まだまだですね。1位を狙うには。

     鈴木 控えめな感じもするので、ぜひ欲を出してね。

     原 ユニホームを着ると変わります。スーツではないほうが、良かったですかね(笑い)。プレーになったら人格が変わりますから、大丈夫です。

     鈴木 ひょう変するところを見てみたい。私も機会がある限り、会場で試合を観戦したいと思っています。ぜひ良いところを見せてください。

     原 はい、よろしくお願いします。私からも長官に聞きたいのですが、長官は(88年の)ソウル五輪で金メダルを取られました。

     鈴木 一応ね(笑い)。あとで見せます。

     原 五輪という舞台は、どのような感じなのでしょうか。

     鈴木 「出たものにしか分からない」と言われますが、アスリートにとっては夢の舞台。チャンスのある人にはしっかりと味わい、体験していただきたい。そして、人生の糧にしてもらいたい。人生を懸ける価値のある場所です。周囲からいろいろな誘惑もあるかもしれないが、五輪に向けて全てを犠牲にするだけの価値はあると思います。それだけ得られるものがありますから。ぜひ、頑張ってほしいと思います。

     原 はい。長官の金メダルもかけていただき、より思いを強くしました。世界選手権、東京五輪とメダルを取れるように頑張ります。

    ハンドボールの競技力向上への期待などを語るスポーツ庁の鈴木大地長官=根岸基弘撮影

     はら・のぞみ 宮崎県出身。姉の影響で小学3年からハンドボールを始める。宮崎学園高、日体大を経て2013年に三重バイオレットアイリスへ。13~14年シーズンの日本リーグでは105得点をマークし、新人賞に選ばれた。弟健也もハンドボール選手で、現在はスイスでプレーしている。ポジションはレフトバック。

     すずき・だいち 千葉県出身。1988年ソウル五輪の競泳男子100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した。順天堂大卒業後に米コロラド大ボルダー校客員研究員などで留学を経験。2007年に順大で医学博士号を取得し、13年に順大教授、日本水泳連盟会長に就任した。15年10月、スポーツ庁の初代長官に就いた。