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毎日新聞

東京2020大会公式記録映画の監督になった河瀬直美さん=奈良市で2019年2月12日、加古信志撮影

東京・わたし

公式記録映画の監督・河瀬直美さん「記録できる立場、役割全うしたい」

 東京2020大会の公式記録映画監督に就任した河瀬直美さんにどのような気持ちで撮影していくのか聞きました。【聞き手・山口一朗】

     ――東京2020五輪公式記録映画監督への就任おめでとうございます。

     ◆ありがとうございます。

     ――2018年10月に就任しましたが、いつごろ打診があったのですか。

     ◆直前です。東京2020大会組織委員会から「もし、就任したとしたら、どういうものを撮りたいか」という話がありました。それについては、ボランティアの皆様への思いがありました。10年から続ける「なら国際映画祭」(http://nara-iff.jp/)は、準備期間も含めた100日ほどの間で200人近い方がボランティアとして支えています。その人たちのスキルアップはもとより、みんなで集まってこのプロジェクトを成し遂げたという思いが、次の何かにつながります。今回の五輪のボランティアの皆様も、そこだけで完結するだけでなく、体験を生かして、今後のさまざまな活動につながっていくといいなと考えます。

     日本の「おもてなし」の気持ちは世界トップレベルです。海外に行くと、「日本人って、こんなに丁寧で、アテンド力があるのか」と感じます。なら国際映画祭でも、「こんなに丁寧に接してもらった経験はない」と海外からのゲストの皆様が口をそろえて言います。日本ではそのおもてなしの心でみんな友達になれるような感じがします。かけがえのない人になれる。そういうものを、しっかり持って帰ってもらえるようになるんじゃないかと思うんです。

     ――就任の記者会見では、「(故郷を追われて)営みの継続を奪われた人たちにスポーツが起こす奇跡を映画の中心に置きたい」と話していましたね。ご自身も、1995年の阪神大震災を奈良で経験しています。

     ◆昨年、講演会で行った山形で、行政の担当者の方が、ある国をホストビレッジとして受け入れるという話を聞きました。そういうのを一生懸命、何年も前からやっている人がいます。「○○県が受け入れます」というだけだったらニュース映像だろうけど、私は、そこで活動している人の思いがすごく大事だなと思っています。その人には、絶対にふるさとを思う気持ちがあります。ふるさとを思う気持ちの中に、選手団を受け入れる気持ちがあります。手間ひまでいうと、並大抵のことではありません。その場所を気に入ってもらえればこそ、持って帰ってもらえるものがあります。村や町を誇りにして、選手たちを受け入れようとしている人は、決して経済的に豊かだということだけじゃなく、自分の地域を愛していないとできないでしょう。受け入れをしている人たちの地域への愛情=家族への愛情になっていきます。そして、そういう姿を見ている子どもたちが、「こういうふうに海外の人を受け入れている大人たちがいる」と感じるようなストーリーがすてきだなと思います。その価値は、他人が測るものじゃない。自分の家族や地域が、ちゃんと自分たちに誇りを持つということだから。それこそが復興なんですよ。何かをしてもらうということだけでは心の復興は果たせない。「ありがとうしか言えない立場」というのは復興ではない。自分たちが誰かの支えになれた時、その人たちの誇りが復活するんじゃないかと思います。自分たちが果たすべき役割を見つけた時、心の復興を迎えるのではないかと感じています。

     ――就任記者会見から5カ月たった今の気持ちはどうですか。

     ◆「ボランティアの応募を締め切った」「オリエンテーションが始まる」「3月には500日前」というスケジュールがやってきて、会場ができあがっていくと聞くと、時間がないと感じます。単なるオリンピックのドキュメントではなく、招へいしたり、成功させようとしてそこに関わる人々の横顔も、ちゃんと時間をかけて撮っていきたいと思う。1964年の映画「東京オリンピック」の市川崑監督の時は、戦後復興で、「国際社会から自分たちも立ち上がっていく」と国民が思っていたでしょう。56年たった現在は、あの時代とは変わっています。時代の空気をしっかり取り込みながら、私自身のまなざしをもって見つめてゆきたいと思います。

     2月中旬に、スイス・ローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)本部にバッハ会長を訪ねました。映画の依頼主であるIOCが何を考えているか聞きたかったからです。バッハ会長からは「スポーツと映画の融合の一ページをその歴史に刻んでほしい」と言われました。これから撮る作品は、この先IOCの公式映像としてそのアーカイブに名を連ねるのだと意識しました。身震いするほどの重責ですが、自分の中では喜びがふつふつと沸いてきました。

    IOC本部を訪問(右はトーマス・バッハ会長)(C)2019 IOC/Greg Martin

     ――過去のオリンピック公式映画はご覧になりましたか。

     ◆昨年の平昌と64年の東京の映画を見ました。勝ち負けじゃないドキュメント。人間がなぜスポーツで競い合うのか、そこに何があるのかを、哲学として伝えなきゃいけないと思います。

     ――映画監督としての河瀬さんの最大のテーマは「家族」だと感じています。特に、初期の作品「につつまれて」(92年)は、生き別れた実父を探す過程を、自らカメラを回しながら作品にしました。今回の映画では、どうやって「家族」を描きますか?

     ◆選手には家族がいます。そこのドラマがあれば、深く掘り下げていきたいです。

     ――IOCの映画なので、当然、オリンピックのみの映画になるでしょうが、河瀬さんのこれまでの作品などを見ると、パラリンピックについてのお気持ちもお聞きしたいです。

     ◆自分の作品で、視覚障害者の方を主人公にした「光」(2017年)や、ハンセン病の元患者さんが主人公の「あん」(15年)があります。私が光を当てて映画にしてきたことを考えると、もしかしたらパラリンピアンの方が、主人公として自分の作品と近いものを持っていらっしゃる方がいるかもしれないです。例えば、車いすバスケットボールをきちんと取材したわけではないけれど、選手たちはすごい技術力を持っているし、努力もあるのだろうなと思います。なぜ、みんながスポーツを通して競い合うのかで言うと、自分の肉体が障害を持っていても、そこに携わる理由が明確なのかもしれません。64年に公式映画を撮った市川崑監督と私は今年同じ年齢を迎えます。今しか撮れないまなざしで俯瞰(ふかん)したり客観したりする部分がある一方で、自らの主観も、意思を持って描いてゆく河瀬直美のまなざしを必要としてもらえるだけの自分でありたいと思います。そのためにも、自分が本当に心を寄せて、興味を持ち続けられるテーマに出合わないと、途中でいいかげんなものになってしまう。そういう意味で、世界最高峰の大会を記録できる立場に居させてもらえること、その役割をしっかり全うしたいと考えています。

     ――高校卒業後に専門学校に入った地点からいうと、ものすごいところに登ってきていますね。

     ◆映画ファンも、映画監督になりたいという人もいっぱいいるはず。なのに、私はスポーツをやっていて、全く知識もなく、何も知らないままポンと映画の学校に入りました。やってみたときにすごく自分が試されました。自分が試されるということは、自分がどうにかならないと何もできません。表現の世界は、何か資格を取ればという世界ではないから、自分がこの世界を見て、どういうふうに感じているのか、自分の普段の考え方はどうかと試されている。刺激的でもあり、光の見えない道、大海原に放り出されたような正解のない世界でした。

     ――高校生の時にバスケットボールの国体選手だった河瀬さんにとって、当時、オリンピックとはどういう存在でしたか。

     ◆夢! 夢! 夢! 希望! 世界中からアスリートたちがやって来るのは、それは興奮しますよね。生きているうちに、日本で五輪が開催されることは運命です。世界のアスリートがわが国に集うということ、オリンピックそのものには反対や否定は誰もできないと思います。「今の日本でやる」ことにおいて、いろんな意見がある人はいるかもしれませんが。

    東京2020大会公式記録映画の監督になった河瀬直美さん=奈良市で2019年2月12日、加古信志撮影

     ――国体に出たのは奈良県選抜でしたね?

     ◆高校のチームとしては県の大会で負けたので、87年に北海道であった全国高校総体には出場できませんでした。キャプテンとして、チームを全国に連れて行くことができなかった。なので、国体の選手に選抜されたと聞いたときには、「辞退したい。私だけ行くわけには行かない」と言いました。コーチに「選ばれたんだから、行け」って説得されて。

     ――過去の五輪では、どの大会のどんなシーンが印象に残っていますか。

     ◆98年の長野大会で、原田雅彦さんたちのスキー・ジャンプ団体は、家でテレビで見ていました。くぎ付けになって泣きました。ただ、日本で放送するときは、違う国でやっていても日本人にフィーチャーするから、違う国の人がどれだけすごい記録を出しているかをあまり見せてくれないじゃないですか。日本でやると、競技やアスリートを自分の目でリアルに見られるので、すごいことなんだなあと思います。会場で五輪を見たことはないので、東京が初めてになります。

     夏の大会で印象に残っているのは、競泳の北島康介さん(04年アテネ、08年北京で金計4個)、Qちゃん(マラソン・高橋尚子さん、00年シドニー金)、それと、世代的にはマラソンの有森裕子さん(92年バルセロナ銀、96年アトランタ銅)。有森さんの「初めて自分で自分をほめたいと思います」という言葉。それと、ソフトボール女子の金メダル(08年北京)ですね。

     ――最後に、今、言っておきたいことがあれば。

     ◆日本では、次にいつ五輪・パラリンピックができるかわかりません。この祭典をきっかけに、一人でも多くの人がスポーツの魅力を知り、そして次につなげてほしい。強いアスリートを作るというだけではなく、ボランティア、食べ物を作っている人、タクシーの運転手さん。いろんなことが変わるんじゃないかな。短い期間かもしれないけど、世界中からお客さんが来ます。その出会いを生かさない手はないんじゃないかと思います。これからどんどんグローバル化していきます。次の世代が、日本人とか、何々人とか、そんなのが関係なくつながりあっていく世界が理想だなと真剣に思っています。価値観もさまざまだけど、とにかく人は一人じゃないって、つながりあっていきましょうと訴えたいです。

     それから、「なら国際映画祭」も応援してください。この地域、この場所から、そういうつながりのある映画祭を作っていきたいです。なら国際映画祭でスポーツ関係をテーマにしたことはないですが、それもやっていきたい。20年が第6回。五輪・パラリンピックと同じ年にやります。例えば、これまでの五輪の公式映画の特集上映をやってもいいかもしれないですね。それと、奈良市には現在、映画館がない状態です。なんとか集いの場をつくりたいですね。

    かわせ・なおみ

     生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける。一貫した「リアリティー」の追求はドキュメンタリーフィクションの域を超えて、カンヌ映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。世界に表現活動の場を広げながら故郷奈良で「なら国際映画祭」を設立、後進の育成に力を入れる。プライベートでは野菜やお米を作る1児の母。

    山口一朗

    スキー学校指導員の後、1990年毎日新聞社入社。96年からパラスポーツを取材。大阪運動部、編集制作センター、毎日文化センター広島館長、社長室委員などをへて2016年からオリンピック・パラリンピック室委員兼社長室。中級障がい者スポーツ指導員。ボッチャ指導員。水泳指導員。剣道二段。