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東京へ ともに歩む

毎日新聞

2003年11月のアジア選手権で韓国を降し、3連勝でアテネ五輪出場を決めた日本代表の選手たち=札幌ドームで、尾籠章裕撮影

Field of View

日本代表として戦う重さ 長嶋ジャパンのアジア選手権回想

 日本代表選手がプレッシャーや責任を背負って戦う姿は、取材で数え切れないほど見てきた。中でも、それがこんなにも重いものなのか、と痛切に知った場面が2003年にある。その時のことを、東京五輪開幕まであと500日となった3月12日に、久しぶりに思い出した。

 この日、毎日新聞社では記念のトークイベントを開催した。テーマは、五輪の試合が福島でも開催される野球とソフトボール。04年アテネ五輪で野球日本代表の監督代行を務めた福島県出身の中畑清さん、同五輪などでソフトボール女子日本代表を率いた宇津木妙子さん、野球BCリーグ福島ホープス監督の岩村明憲さんが、さまざまな話題について語り合った。

 最初からテンションが高く「絶好調」だった中畑さんだが、日本代表の話題になると、声のトーンが変わった。そして、アテネ五輪予選を兼ねて03年11月に札幌ドームで開催されたアジア選手権のエピソードを明かした。

 中国、台湾、韓国と2枚の五輪切符を争った戦いは「絶対に負けられない。必ず五輪に出なければならない」と誰もが必死で、日本代表の監督だった長嶋茂雄さんが、試合中にずっと大声で選手を鼓舞し続けていたという。中国に13―1、台湾に9―0、韓国にも2―0と3連勝で1位で五輪出場を決めた時、長嶋監督の声はすっかり、かすれていた。

 心身とも極限まで追い込まれたこの大会が、長嶋監督がアテネ五輪を前にした翌年3月に脳梗塞(こうそく)で倒れる一因になったかもしれない、と中畑さんは語った。五輪で監督代行として指揮を執り、日本に銅メダルをもたらした中畑さん自身も、五輪中は常に鳥肌が立つような緊張感に襲われたという。

 確かに、あのアジア選手権はすごかった。日本代表には、主将の宮本慎也(ヤクルト∥球団はいずれも当時)、上原浩治(巨人)、松坂大輔(西武)、城島健司(ダイエー)、高橋由伸(巨人)、福留孝介(中日)らがずらり。日本球界のスターたちが鬼気迫る形相で球を追い、全力で走る姿は、私が今まで見た日本の野球の中で間違いなく最高レベルだった。

 最後の韓国戦を終えた後、取材場所に来た選手は誰もが疲労困憊(こんぱい)してやつれた表情をし、立っていられず座り込む選手も。五輪への切符をつかんだのに、悲壮感すら漂っていた。これほど追い込まれた選手の姿を目の当たりにして、私は同情と怖さを感じた記憶がある。

 東京五輪ではもっと注目され、日本代表の監督や選手の重圧はさらに大きくなるだろう。あのアジア選手権を思い出すと、あまり期待をかけるのは酷な気もする。だが、中畑さんは語気を強めた。「どんどん期待してあげてください」。それでも勝ってこそ本物の強さであり、期待されない日本代表ほどさみしいものはない、と。

 それはおそらく、野球だけでなくすべての競技にも共通するのだろう。経験者が言うのだから、来夏の東京では日本代表選手たちの活躍を楽しみにさせてもらおう。ただ、心の隅で少しは、選手の苦労も思いやりながら。【石井朗生】

石井朗生

毎日新聞東京本社運動部編集委員。1967年生まれ、東京都出身。92年入社。陸上、アマ野球などを担当し、夏冬計6大会の五輪を取材。デスク業務を経て2018年秋に現場取材に復帰した。大学で陸上の十種競技に挑み、今も大会運営や審判に携わる。最近はアキレス腱(けん)断裂や腰椎(ようつい)すべり症など、ケガの経験が歴戦のトップ選手並みに。