無敵のキング内村航平は
なぜ団体の金メダルにこだわるのか

栄光の懸け橋「アテネの記憶」を塗り替えたい
リオデジャネイロ五輪が8月5日開幕する。日本代表338人(8月3日現在)の中で最も金メダルに近いと言われる選手の一人が、体操の男子個人総合で2012年ロンドン五輪に続く連覇を狙う内村航平(27)=コナミスポーツ=だ。世界選手権も09年から6連覇を続けており、銀メダルを獲得した北京五輪以降、国際大会では負け知らずだ。
だが、内村が何よりもこだわるのが04年アテネ五輪以来となる団体総合の金メダル。
今回は「アテネ超え」をテーマに掲げて大舞台に臨む。
平行棒の練習準備をする内村航平(手前)=イギリス・グラスゴーで2015年10月23日、小川昌宏撮影
リオで目指す「完璧で美しい演技」の究極
アテネ五輪の男子体操は体操界を超えて広く国民的な記憶となっている。最後の演技となった鉄棒で冨田洋之(現順大コーチ)が見せた完璧な着地からはNHK刈屋富士雄アナの名実況「伸身の新月面が描くのは栄光の懸け橋だ」が生まれた。
内村はその記憶を塗り替えるような完璧で、美しい演技をリオで目指している。
ロンドン五輪 男子個人総合 決勝 内村の鉄棒の演技。最後は、日本が団体総合の金メダルを獲得した04年のアテネ五輪で、最終演技者の冨田洋之が決めたのと同じ技。ピタリと決まった着地は大きな歓声を浴びた=ロンドンのノースグリニッジ・アリーナで2012年8月1日、佐々木順一撮影(連続合成写真)
体操男子団体で金メダルを獲得し、表彰式で笑顔で手を振る(左から)米田功、水鳥寿思、鹿島丈博、冨田洋之、塚原直也、中野大輔=屋内ホールで2004年8月17日午前0時2分、野田武撮影
高1の夏、アテネ金に興奮「自分も五輪に行く」
アテネ五輪当時、内村は高校1年。メンバーの一人である塚原直也(現朝日生命総監督)に憧れて中学卒業後、古里の長崎県から上京し、朝日生命の体操クラブで練習。間借りするアパートの一室でアテネ五輪を見ていた。母周子さんは翌日、電話の向こうで気持ちを高ぶらせながら「興奮して眠れなかった。自分も五輪に行く」と語る内村の声を鮮明に覚えている。
アテネ五輪は五輪の団体総合の金メダルに憧れを抱くようになった最初の瞬間だった。
男子団体で中国に逆転され2位となりぼうぜんとする内村航平(中央)ら。右は亀山耕平、左は田中佑典=中国・南寧で2014年10月7日、長谷川直亮撮影
ライバル中国の厚い壁に何度もはね返され
だが、その道のりは想像以上に厳しかった。個人では何度も頂点に立ちながらも、団体ではいつもライバル中国の厚い壁にはね返され続けてきた。
10年世界選手権(ロッテルダム)、11年世界選手権(東京)はいずれも最後の鉄棒で落下するなどチームとしてミスが相次いで敗れ、12年ロンドン五輪も不本意な戦いで銀メダルを守るのがやっとだった。
極めつきが14年世界選手権(中国・南寧)。最後の演技の鉄棒で0.1点差で逆転負けを味わい、「完全なアウェー状況だ」と悔しさをかみ殺した。
ロンドン五輪から代表の座に座り続ける加藤凌平(コナミスポーツ)も話す。
「誰よりも航平さんが悔しさを味わってきた」
14年世界選手権 最後の鉄棒で0.1点差逆転負けの屈辱
男子団体で金メダルを獲得し、手をつないで表彰台にのぼる内村航平(中央右端)ら日本の選手たち=イギリス・グラスゴーで2015年10月28日、小川昌宏撮影
グラスゴーは落下の幕切れ、納得できない世界一
昨年の世界選手権(英国グラスゴー)でようやく念願だった団体金メダルを手にしたが、想像していたものとは違った。最後の鉄棒で手放し技「カッシーナ」でバーをつかみ損ねて落下。美しい演技を誰よりも追い求めてきた内村にとって、到底納得できる内容ではなかった。優勝の瞬間こそ仲間と抱き合って喜んだが、報道陣にミックスゾーンで囲まれると「世界一という感じがしない」と語り、複雑な表情をのぞかせた。
報道公開されたリオデジャネイロ五輪に出場する体操男子の日本代表強化合宿で、白井健三(右)の演技を見守る内村航平(左から2人目)ら=東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで2016年6月10日、竹内紀臣撮影
チームワークは練習でしか培えない
団体には、個人種目にはない特別な力がある。
そのことに内村が気づいたのは日体大に進んでからだ。中学時代に団体の経験はなく、アテネ五輪に触発されたとはいえ高校時代も特別な思い入れはうかがえない。父和久さん(55)は「団体がどうのこうのというのは聞いたことがない」と振り返る。
だが、五輪と世界選手権を合わせて内村と並び日本選手最多の24個のメダルを獲得している監物永三ら多数の名選手が輩出した日体大ではレギュラー6人がほぼ毎日、班で練習。チームワークも練習でしか培えないことに気づかされた。
個々の課題に挑むことが多かった日本代表の練習に、日体大のような練習を取り入れるように進言したのも内村だった。
水鳥寿思・男子強化本部長はロンドン五輪から4年の歳月を経て「本当の意味で(日本代表は)航平のチームになった」と語る。個人総合で抜群の成績を誇る主将の内村が団体にこだわり続けることで、チーム内に「団体優先」の考え方がしっかりと根を下ろすようになった。今ではチーム最年少の19歳、白井健三(日体大)までが「(5人で戦う)団体の金メダルは喜びが5倍になる」と当たり前のように話す。

小野喬さん、遠藤幸雄さん、加藤沢男さん、冨田洋之さん
V10「体操ニッポン」に脈々と受け継がれた伝統
団体への特別なこだわりは内村だけのものではない。むしろ、世界選手権と五輪を合わせて10連覇(V10)を果たし、「体操ニッポン」と呼ばれた頃から脈々と受け継がれる伝統でもある。
V10とは1960年ローマ五輪から78年世界選手権(仏ストラスブール)まで頂点に立ち続けたローマ、64年東京、68年メキシコ、72年ミュンヘン、76年モントリオールの5回の五輪、5回の世界選手権を指す。
東京五輪で日本選手団の主将を務めた小野喬さん(85)は「我々の時代に一つの山ができ、再び山ができあがろうとしている」と語り、体操ニッポンの新たな時代の始まりを見る。
技の難度こそ飛躍的に高まったが、足先や倒立の姿勢など細部まで美しさにこだわる内村の姿は、小野さんが海外の選手から「日本の体操は美しいね」と言われた当時から変わらない。それは東京五輪で日本選手初の個人総合優勝を飾った遠藤幸雄(故人)、五輪で8個の金メダルを勝ち取った加藤沢男、そしてアテネ五輪の冨田らと受け継がれてきた日本が誇る美しさの系譜でもある。
内村は言い切る。
「(日本の体操の)歴史を考えると、
アテネ五輪を乗り越えなければこの先はない」
「体操界の枠を超えた感動を…だから金がほしい」
体操の魅力がアテネ五輪の感動のように体操界の枠を超えて一般の人々に広く伝わっていると感じられないからだ。昨年の世界選手権で37年ぶりに世界一の座を取り戻したが、「僕や健三は(メディアなどに)結構出ているが、その他の選手は世界で1番になっているのに知れ渡っていない」と語る。同時期に行われたラグビーのワールドカップ(W杯)で、南アフリカから歴史的な勝利を挙げた日本の多くの選手たちが紹介されたのとは対照的だった。
「体操が与える影響はまだまだだなと思う。だから、五輪での(団体)金が欲しい」
個人ではあらゆる栄光を手にし「キング・オブ・ジムナスト」(体操の王者)と呼ばれる男の正直な実感だ。だが、体の震えが止まらなくなるほど感動した五輪の団体金メダルなら話は変わるはず。
情熱と祝祭の都市リオデジャネイロで、
内村は「体操ニッポン」の新たな歴史を刻み込もうとしている。
体操 日本代表
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内村航平
生年月日 1989/01/03 年齢 27歳 身長体重 162cm/54kg 出身地 福岡県 所属 コナミスポーツクラブ 得意種目 床運動、平行棒 -
加藤凌平
生年月日 1993/09/09 年齢 22歳 身長体重 163cm/54kg 出身地 愛知県 所属 コナミスポーツクラブ 得意種目 床運動、平行棒 -
田中佑典
生年月日 1989/11/29 年齢 26歳 身長体重 166cm/58kg 出身地 和歌山県 所属 コナミスポーツクラブ 得意種目 平行棒、鉄棒 -
白井健三
生年月日 1996/08/24 年齢 19歳 身長体重 163cm/54kg 出身地 神奈川県 所属 日本体育大学 得意種目 床運動、跳馬 -
山室光史
生年月日 1989/01/17 年齢 27歳 身長体重 159cm/56kg 出身地 茨城県 所属 コナミスポーツクラブ 得意種目 つり輪
- 文
- 田原和宏
- 編集
- 平野啓輔、佐藤岳幸、高添博之、編集編成局校閲グループ
- 写真・映像
- 小川昌宏、竹内紀臣、内林克行、堀美樹子、大金有姫、共同通信
- デザイン
- 樫川貴宏、デジタルメディア局デザインチーム