音楽・アート

アートの風:'文化'資源としての<炭鉱>展=三田晴夫

2009年11月18日

 かつてバルビゾン派と呼ばれた画家たちが、田園や農牧の風景をこぞって描いたのは、産業革命後の工業化によって都市が急速な膨張を遂げつつあるころであった。あたかも敬虔(けいけん)な自然や静穏な日常が、都市から吹き寄せる喧騒(けんそう)の波風によってかき消される前に、それを描きとどめておこうとしたかのように。

02.jpg
川俣正のインスタレーション「景」

 そう、風景はそれが失われようとするまさにその時、初めて自覚的な視線の対象となり、意識に受胎されるものらしい。バルビゾン派とは別に、改めてそのことを再認識させてくれたのが、東京・目黒区美術館で開催中の「'文化'資源としての<炭鉱>展」(12月27日まで)である。

 戦後日本の石炭から石油へのエネルギー政策の変更により、炭鉱には合理化の嵐が吹き荒れ、どこも閉山を余儀なくされた。九州の筑豊、関東の常磐、北海道の夕張など全国有数の産炭地とて例外ではなかった。だが、皮肉にも失われゆく炭鉱への自覚が、絵画や写真、グラフィック、映画の関心をそこへと差し向けていく。

 今回の展覧に感心した第一は、絵画であれ写真であれ、よくぞここまでと驚嘆を禁じ得ないほどの見事な集めぶりだ。そのすべてを詳述するゆとりはないが、タブロー(絵画)では、野見山暁治や滝純一の剛直な構築性、立石大河亞のポップな色彩とフォルム、池田龍雄のモニュメンタルな形象、尾花成春の情念的な絵肌づくりなど、九州勢の多彩な冒険が目を引く。

 ところが、現代美術では形勢が逆転して岡部昌生と、隣接の区民ギャラリーを単独で使った川俣正の北海道勢が、際立った存在感を示してやまないだろう。岡部は閉山した炭鉱発電所の床に残るタービンの撤去穴を、紙で覆って鉛筆でこすり出した渾身(こんしん)のフロッタージュ。川俣は黒い立て坑の周囲に、白雪をかぶったボタ山や直列する炭鉱住宅を配した。それは夢幻とも、蘇(よみがえ)った記憶ともつかない景観であった。

 炭鉱写真となると、絵画にくらべドキュメント性が強まるのはいうまでもない。秀逸なものも少なくないのだが、それでもいまなお土門拳の筑豊や、奈良原一高の長崎・軍艦島の画面から、圧倒的なアウラを受け取るのはなぜなのか。表現の鮮度では、夕張の廃鉱を長時間露光で撮影し、移動する自身の姿を手鏡による光の斑点群に変容させた佐藤時啓が、一頭地を抜くとしても。

 この他に環境彫刻のパイオニア多田美波の幾何学的レリーフの写真複製や、日本画の鬼才、横山操の力感みなぎる夕張のボタ山風景も見ものである。しかし、何といっても本展の白眉(はくび)は、筑豊で半世紀もの炭坑労働者生活を経て、絵筆を握った山本作兵衛の手になる炭坑記録画であろう。

 男女による採掘労働から見せしめの刑罰、種々の遊興に至るまで、炭鉱という時空間で織り成された文化・生活風俗の一大絵巻は、地底の闇の妖(あや)しいエロスさえ漂わせる風情である。画家・菊畑茂久馬が指導、美学校生たちが挑んだ9点の模写大作ともども、その炭坑画群の前に立つ者は、ふつふつと沸き立つ表現衝動の果てしなさに、胸打たれずにはいまい。

 最後にいい添えておきたいのは、本展図録の充実ぶりだ。もう一人の炭坑画家・千田梅二の緻密(ちみつ)な分析を筆頭とするテキスト群も読み応えがあるが、炭鉱をめぐる「'文化'資源」の成り立ちを解き明かす、正木基学芸員による出品者らのインタビューもすこぶる内容が濃い。このジャンルの最初の底本となるべき労作ともいえよう。(さんだ・はるお=美術ジャーナリスト)

はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

PR情報

音楽・アート アーカイブ一覧

【昭和毎日】
古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。

【さくら情報】
皆さんが撮影されたさくらの写真を特集内で紹介します。

おすすめ情報

注目ブランド