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吉備国際大硬式野球部の監督として守備力重視の野球をチームに浸透させ、2013年の中国六大学野球春季リーグでチームを初優勝に導いた。強豪チームとの実戦を積み重ねてさらに采配に磨きをかけ、全国大会での勝利を目標に掲げる。
広陵高(広島市)出身で、内野手として02年に春夏連続で甲子園に出場。犠打などの小技や堅実な守備で活躍した。吉備国際大に進学後、リーダーシップを買われて2年時から主将を務めたが、目立った成績は残せなかった。低迷するチーム事情などから卒業してすぐの08年に一時監督が不在に。チームから打診があり、「恩返しを」と23歳の若さで監督に就任した。
「強い相手を知らなければ成長できない」と就任後は練習試合の質の向上に取り組んだ。練習の合間に社会人チームにあいさつ回りをしたり、全国の大学の監督が集まる会議でも積極的に名刺を配ったり。強豪チームとの練習試合では大敗し、相手監督から「二度と試合をしない」と突き放されたこともあった。それでも「勝つために何が必要か、チーム内で共有できた」と振り返る。
守備練習に重点を置き、失点を最小限に抑える野球を徹底。13年の中国六大学野球春季リーグで創部24年目にして初優勝した。しかし、東京ドーム(東京都)であった全国大会では初戦で力負けし、得点力の強化にも乗り出した。打者に初球から甘い球を逃さないよう徹底させ、好機には代打にも犠打を命じる。
3月12日の社会人・大学対抗野球大会で社会人のシティライト岡山と6−6の互角に渡り合い、手応えをつかんだ。「チーム内での競争を活発にして、全国での1勝をつかみ取りたい」と闘志を燃やす。【原田悠自】