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ユニバ・トーク

8月29日 みんな違ってはいけない

 亡父が航空会社に勤めていた関係で、3歳から7歳までローマで生活した。1960年代のイタリアでは日本人はほとんど見かけなかった。幼稚園と小学校1年を現地の公立施設に通ったが、もちろん日本人の子供は僕一人。だが、同じクラスの子供たちは皆、髪の色も目の色も肌の色も違う僕を当たり前のように受け入れてくれた。放課後にはロベルトやアンナら仲良しになった子たちといっしょに自転車で街に繰り出した。

     10歳で全盲になった僕は、失明後も家族と一緒に映画館に出かけた。目が見えていたころから大好きだったゴジラシリーズは音だけでも十分楽しめたし、隣に座った兄が耳元で「ゴジラがキングギドラに火を吐きかけてる」などとささやいてくれた。

     ただ、いつもつらかったのは他の親子連れの母親が、「なんで目の見えない子が映画館に来るのかしらね?」などと不快そうに話していたことだ。日本という国は異質なものを排除したがる人たちであふれていると僕は強く感じた。「みんな違ってはいけない」。だから、同じ職場に障害者がいると目障りで法定雇用率も水増ししたのかもしれない。【岩下恭士】