毎日新聞デジタルの「公文書・歴史の記録」ページです。最新のニュース、記事をまとめています。
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埋もれた記憶・朝鮮戦争70年
朝鮮戦争で米掃海艇の日本人男性死亡 最前線の犠牲まとめた文書の存在判明
2020/11/23 19:53スクープ 964文字1950年に勃発した朝鮮戦争(53年に休戦協定)で、米海軍の掃海艇に乗った福岡県出身の日本人男性が機雷除去中の触雷事故で死亡していたことが、外務省外交史料館の文書で判明した。朝鮮戦争の日本人犠牲者を巡っては、政府が港湾業務など後方支援で死亡した日本人をまとめた文書はあったが、米掃海艇など戦闘最前線
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戦後75年
空襲被害者の遺族/下 多数の無縁仏、今も
2020/10/15 02:02 2633文字太平洋戦争下、大阪も執拗(しつよう)な空襲を受け、死者・行方不明者は1万5000人に上り、多数が仮埋葬された。戦後改葬されたものの引き取り手のない「無縁仏」が多数にのぼり、また仮埋葬と改葬の全容も分かっていない。戦後75年の今も、空襲被害者への補償と実態調査の実施を盛り込んだ法律の整備を求める活動
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従軍慰安婦「強制連行はない」「軍関与ない」…菅首相の知られざる「歴史認識」とは
2020/10/2 07:00 3441文字安倍晋三前首相が退場し、今度は菅義偉政権である。「外交の安倍」の7年あまりで、中国や韓国との関係はすっかり冷え切ってしまった。だからこそ菅首相には期待したい……のだが、心配である。なぜなら菅首相、史実に反する歴史修正主義的な発言をしてきた知られざる過去があるからだ。【吉井理記/統合デジタル取材セン
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時代の風
BC級戦犯の戦後史 黒塗りでは忘れられる=梯久美子・ノンフィクション作家
2020/8/30 02:00注目の連載 1694文字戦後75年の夏が過ぎようとしている。毎年この季節には、どのようなテーマと切り口であの戦争の報道がなされるか注視しているが、近年ほとんど取り上げられることのないテーマがある。BC級戦犯のことである。 戦犯とは戦争犯罪人のことで、A、B、Cは犯罪の内容による分類(Aは平和に対する罪、Bは通例の戦争犯罪
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記者・清六の戦争
/12 明日の命も知れぬ日々 最前線の兵士たちは奪い合うように読んだ
2020/8/29 10:00 1981文字マニラ新聞社を脱出した伊藤清六らは新たな拠点を求め、ルソン中南部を守る軍司令部へ向かった。米軍の進撃は予想以上に早く、確保した拠点を使えず軍に頼るしかなかったようだ。だが、食糧不足を理由に受け入れを拒まれた。 マニラ北東約50キロのイポダムにたどり着いたのは1945(昭和20)年2月上旬。ルソン島
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/23 極限下、生きた証し
2020/8/27 02:02 849文字「神州毎日は将兵愛好の的で至るところ引張(ひっぱり)凧(だこ)であった」。イポの激戦から生還した将校、那須三男氏は戦後、毎日新聞社の聞き取りにこう証言している。 人気の秘密は、やわらかい文体で書かれた最新の戦況と娯楽にあった。文芸欄では兵士から随筆、俳句、川柳などの投稿を募集。河嶋修兵団長も「神州
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コロナ連絡会議の新たな情報公開、2カ月でたった1日分 菅長官「問題あれば指導」
2020/8/26 18:37 551文字安倍晋三首相らが新型コロナウイルスの対応を協議する政府の「連絡会議」を巡り、内閣官房は毎日新聞の情報公開請求に対して、約2カ月間で新たに1日分しか開示準備を進めなかった。菅義偉官房長官は26日の記者会見で「個人情報などの不開示情報の有無の確認を含めて、内閣官房の担当部局が法令に基づいて適切に対応し
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「下関空襲の全貌」聴く 「海峡の裏町文化塾」講演 下関 /山口
2020/8/26 07:02 453文字あまり知られていない地元の歴史や文化について語り合う「海峡の裏町文化塾」が、下関市中之町の亀山八幡宮儀式殿で開かれた。下関歴史探究倶楽部(くらぶ)の大濱博之会長が「下関空襲の全貌」と題して講演し、30人が聴き入った。 大濱会長は、米国立公文書館に保管されている米軍が空撮した関門海峡や写真偵察機の写
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写真で見る戦後 九州・山口の軌跡 「特攻作戦」を考える 生還者隠した「振武寮」(福岡市) /福岡
2020/8/19 07:05 1271文字戦争末期に採用された特攻作戦。操縦士が戦闘機もろとも敵艦船に突っ込む体当たり作戦で「カミカゼ」と米軍を恐れさせた。一方、軍神として送り出された特攻隊員は死を当然のことと見なされ、機体の故障などで生還すれば「ひきょう者」とののしられた。生還者を隠すため、陸軍は福岡市に「振武寮」と呼ばれる施設を設けて
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戦後75年
開館20年「不戦」後世へ 戦没した船と海員の資料館 /兵庫
2020/8/15 07:40 968文字主に太平洋戦争で戦火に遭った民間船や乗組員らを扱う「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区海岸通3)が15日に開館20年を迎えた。戦争の犠牲になった民間船は全国で7240隻。軍籍になかった船の資料は今も少なく、60~80代のボランティアスタッフ4人が3000隻の資料集めを目標に作業を続ける。「被
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戦後75年
立川B29搭乗員殺害/下 事実だけ記したい 市民が調査、新たな証言 /東京
2020/8/15 02:00 1029文字B29搭乗員のモロン軍曹が殺害された事件は、約30年後の1970年代、市民団体「立川市文芸同好会」が聞き取り調査をして掘り起こした。 取材は難航したようだ。「夏草の墓」と題したリポートの中心執筆者で、元市図書館長の小沢長治さん(故人)は「市民の口は重かった。自分が話したということは、絶対いわないで
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「パンパン」から考える占領下の性暴力と差別 戦後75年、今も変わらぬ社会
2020/8/14 13:11 3921文字「パンパン」という存在をご存じだろうか。終戦直後、占領軍の兵士と親密だった日本人女性に対する侮蔑的な呼び名として使われてきた言葉だ。パンパンとみなされた女性は、街中で突然身柄を拘束され、性病検診を受けさせられた。これをキャッチ(検挙)という。著書「パンパンとは誰なのか」(インパクト出版会)で、パン
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戦争が抑圧した言論と思想 100歳研究者が訴える「過ち繰り返さぬための権力監視」
2020/8/13 11:00 1261文字英経済学者、アダム・スミス研究の第一人者として知られる社会思想史学者の水田洋・名古屋大名誉教授(100)=名古屋市=は、戦後75年を百寿で迎える。戦争では親友や妹の婚約者らを失った。戦後は研究者として頭角を現すとともに平和活動にも取り組んできた。戦争の記憶を知る世代が少なくなる中、「過ちを繰り返さ
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戦後75年
「三木飛行場」の記憶、ここに 手記など資料150点 市立中央図書館 /兵庫
2020/8/12 06:48 790文字◇加古川、稲美にまたがり旧陸軍が建設 第二次世界大戦末期、三木・加古川・稲美の3市町境に建設された旧陸軍の軍用飛行場「三木飛行場」の歴史を掘り起こした展示が、三木市福井の市立中央図書館で開かれている。元陸軍特攻隊員や住民からの聞き取り、手記や公文書の収集、現地踏査などを積み重ね、戦後75年の節目に
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明日に伝える
戦後75年・北陸の戦争遺産/3 石川・七尾 第二能登丸事件 平和つなぐ「地域の素材」
2020/8/11 06:37 861文字石川県七尾市の北東、富山湾にせり出した崎山半島の先端に位置する鵜浦(うのうら)地区の神社入り口に、大きな忠魂碑が建つ。碑に刻まれているのは明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、太平洋戦争などで亡くなった地区住民の名前だ。多くは軍人だが、末尾の方に「非軍属」と書かれた13人の名前がある。 太平洋戦争
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消えた原爆機情報 8月6日朝、旧陸軍諜報部隊は傍受 「西へ向かった」空襲警報出ず
2020/8/7 17:26 1262文字第二次世界大戦が終わりに近づいた1945年8月6日、日本に向かう米軍の原爆搭載機の動きを察知しながら、組織内で情報が生かされなかったと悔いる元日本軍兵士がいる。「つかんだ情報を基に、もし投下前に空襲警報が広島に出されていれば、助かった命があったかもしれない」 滋賀県野洲市の元小学校長、長谷川良治さ
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記者の目
朝鮮戦争、日本人の埋もれた戦闘 批判恐れ?秘匿した米=飯田憲(西部報道部)
2020/8/6 02:01注目の連載 1924文字◇飯田憲(あきら)(西部報道部) 太平洋戦争終結の5年後に勃発した朝鮮戦争で、在日米軍基地で働く日本人が米軍に同行し、戦闘にも参加していたという極秘文書が米国立公文書館に残っていた。二度と戦争を繰り返さないと誓った敗戦間もない日本から対岸の戦地に民間人が渡っていた驚くべき記録だ。1950年の朝鮮戦
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原爆機出撃、警報出せず 諜報部隊の元見習士官96歳 「情報つかんだのに」
2020/8/4 12:38 1262文字第二次世界大戦が終わりに近づいた1945年8月6日、日本に向かう米軍の原爆搭載機の動きを察知しながら、組織内で情報が生かされなかったと悔いる元日本軍兵士がいる。「つかんだ情報を基に、もし投下前に空襲警報が広島に出されていれば、助かった命があったかもしれない」 滋賀県野洲市の元小学校長、長谷川良治さ
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戦後75年
佐伯港空襲 映像一般公開へ 1945年3月18日 米軍機撮影 /大分
2020/8/4 07:37 813文字◇「豊の国宇佐市塾」来月5日講演会で 「戦争証言する大切な資料」 太平洋戦争の資料収集・保存を続ける宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が2日公表した米軍撮影の映像16本のうち、県内分の1本には米軍機が佐伯港(佐伯市)内で日本軍の艦船を空襲する様子がカラーで記録されていた。県内が初めて本格的な空襲を
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45年4月、首里城空襲の瞬間 大分・宇佐の市民団体、米軍映像を公開
2020/8/3 07:43 368文字太平洋戦争の資料収集・保存を続けている大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」は2日、米軍が那覇市の首里城を空襲しているカラー映像を公表した。首里城が空襲される瞬間を捉えた映像が見つかったのは初めてとみられ、1945年4月18日撮影となっている。沖縄戦における首里城焼失の経緯は分かっておらず、この
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