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「9.11」後の20年

米同時多発テロ 20年

 2001年9月11日、米国上空でハイジャックされた4機の旅客機はニューヨークやワシントン郊外の建物に次々と突っ込むなどして、2977人の犠牲者を出した。国の中枢部を揺さぶられたブッシュ政権は翌月に対テロ戦争の口火を切った。2003年にはイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を所有しているとの疑いを取り上げ、イラクへの軍事作戦にも踏み切る。ところが2021年8月には米軍撤収が終わる前に、タリバンの攻勢でアフガニスタンの政権があっけなく崩壊した。相次ぐテロと長引く戦争が米国と世界を揺るがした20年とはどんな時代だったのか。

検証ザ・ロンゲスト・ウオー

あの日から

ついえた民主化

タリバン復権の衝撃

緊迫・米軍撤収直前ルポ

Chapter 1

9.11で何が起きたのか

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1. 世界貿易センターの崩壊

 2001年9月11日午前、ニューヨーク中心部にある世界貿易センター(WTC)ビル2棟にテロリストにハイジャックされた旅客機2機が相次いで突っ込んだ。世界最大の経済大国の象徴である摩天楼の一角が崩れ落ちる光景はテレビで中継され、世界に衝撃を与えた。

 午前7時59分にボストンを飛び立ったアメリカン航空11便(乗員乗客92人)が乗っ取られ、8時46分にWTCビル北棟に突入。それから20分もたたずに、同じくボストン発のユナイテッド航空175便(乗員乗客65人)が南棟に激突した。二つのビルは激しく炎上し、まもなく倒壊した。

 110階建てのWTCビルには入居する企業や国際機関などで働く1万人以上がいた。旅客機の乗員乗客、救助活動中に命を落とした消防隊員や警察官らを含めた犠牲者は2753人(うち日本人は23人)にのぼる。

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2. 国防総省への突入

 WTCにハイジャックされたアメリカン航空機が最初に激突しておよそ50分後。380キロ離れたワシントン近郊にある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)にも別の旅客機が突っ込んだ。

 午前9時37分、乗っ取られたワシントン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便は、五角形の庁舎の西壁の1階部分に滑り込むように激突して爆発炎上。建物の中にいた国防総省の職員125人と、乗員・乗客59人、実行グループ5人全員が死亡した。大きく損壊したエリアは改装中で、難を逃れた職員も多かったとされる。

 国防総省が、ハイジャック機が針路変更してワシントンへ戻っていると覚知したのは激突のわずか12分前だった。バージニア州のラングレー空軍基地からF16戦闘機がスクランブル発進したが、現場に到着したのはペンタゴンが攻撃を受けた20分後だった。

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3. 荒野に墜落した4機目

 東部ニュージャージー州ニューアークからサンフランシスコに向かっていたユナイテッド航空93便。離陸46分後の午前9時28分、犯行グループが中西部オハイオ州上空で操縦室を乗っ取り、機体を南東に旋回した。

 「機内に爆弾がある。空港に引き返す」。犯人たちは虚偽の放送を繰り返したが、携帯電話で外部と連絡を取った乗客らがWTCへのテロを把握した。約30分後、後部に集められていた乗客らが操縦席の奪還を狙い突入すると、犯人たちは機体を揺らして抵抗した。

 午前10時3分、同機は東部ペンシルベニア州シャンクスビルの荒野に墜落し、犯人4人を含む乗員乗客44人全員が死亡。米国を旅行中だった早稲田大2年の男子学生も犠牲となった。首都ワシントンのホワイトハウスか連邦議会が標的だったとみられるが、乗客らの抵抗によって阻止された。

グラウンド・ゼロ

 旅客機2機が突っ込んだ世界貿易センター(WTC)ビル跡地は、同時多発テロから10年後の2011年9月、犠牲者を追悼する記念広場として公開された。崩落した北棟と南棟が建っていた場所には滝が流れ落ちるモニュメントが設けられ、犠牲者の名前が刻まれている。

 事件を記録する「9・11追悼博物館」は14年5月にオープンした。崩落したビルの鉄骨や遺品など7万点以上を収蔵し、事件の経緯や背景などを解説している。9月11日には毎年、記念広場で追悼式典が開かれ、遺族らが犠牲者の名前を一人一人読み上げる。

 WTCでは計2753人が犠牲になったが、4割にあたる約1100人の遺体の身元は未確認だ。現場で見つかった骨片などは約2万2000点。市検視局の担当者がDNAを取り出し、犠牲者のものだと特定する地道な作業を続けている。

Chapter 2

9.11前後の世界は

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冷戦が終わり、ソ連が崩壊した1990年代。米国が勝利の余韻に浸る中、イスラム過激派によるテロが相次いだ。

1993.2
ニューヨークの世界貿易センターの爆破テロ
1996.6
サウジアラビア駐留米軍施設へのテロ

 イスラム主義組織タリバンがアフガニスタンで政権発足。同年に国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディン容疑者の滞在を許可。

1998.8
ケニア、タンザニアの米大使館で連続爆破テロ
2000.10
イエメン沖に停泊中の米駆逐艦の爆破テロ
2001.9.11
米同時多発テロが発生

 運命の日の2001年9月11日。ハイジャック機が世界貿易センターや国防総省に次々と衝突し、3000人近い死者を出した。ブッシュ米大統領はテロとの戦いを宣言する。

2001.10
米英軍がアフガン攻撃開始

 同時多発テロの翌月、米国と英国はビンラディン容疑者の滞在を許可していたアフガニスタンのタリバン政権への軍事作戦を始めた。

2001.12
タリバン政権が崩壊し、
アフガンで暫定行政機構が発足

 米英軍の攻撃を受けると、2001年12月までにアフガンを支配したタリバンの政権は崩壊。新たな国造りが始まった。

2002.11
国連安全保障理事会がイラクに
大量破壊兵器査察を求める決議を採択
2003.3
イラク戦争開始

 アフガンに拠点を置いたテロの脅威が去ると、米国は中東での脅威と見なすイラクのフセイン政権を次の標的とした。2003年3月、イラクへの攻撃を始めた。

2003.4
フセイン政権が崩壊

 イラク戦争の開戦の翌月。米軍は首都バグダッドを制圧し、フセイン政権を崩壊させる。

2003.5
ブッシュ米大統領は大規模戦闘終結を宣言

 2003年5月にはブッシュ大統領がイラク戦争の大規模な戦闘が終結したと宣言した。

2003.12
米軍がフセイン元大統領を拘束

 2003年12月にはイラク国内に潜伏していたフセイン元大統領も拘束した。しかしイラク国内では米軍などを狙うテロが後を絶たず、米国が思い描く「戦後統治」の実現には程遠かった。

2004.10
米調査団「イラクに大量破壊兵器なし」と結論
2005.4
イラクで移行政府発足
2006.12
フセイン元大統領の死刑執行
2008.11
米大統領選でイラク戦争を批判した
オバマ上院議員が当選

 2008年の大統領選挙ではイラク戦争を批判したオバマ上院議員が当選する。

2011.5
米部隊がビンラディン容疑者を殺害

 米同時多発テロから10年となる2011年。5月に米軍部隊が首謀者のビンラディン容疑者を殺害した。

2011.7
米軍がアフガン撤収開始
2011.12
イラク駐留米軍が撤収完了
2014
過激派組織ISがイラク北部などで支配地域拡大

 2011年末に米軍がイラクから撤退を完了すると、力の空白が生じ、そこに現れたのが過激派組織「イスラム国」(IS)だった。14年にはイラクとシリアの一部を占領し、「イスラム国」の建国を宣言した。

2014.12
米軍がアフガンで戦闘任務を終了

 米軍はアフガンでの戦闘任務を終え、治安維持の権限をアフガン軍に移譲したが、以後は治安の悪化が顕著になっていく。

2020.2
米国とタリバンが米軍の撤退などで
和平合意を締結

 オバマ政権の後に誕生したトランプ政権もアフガンでの活動縮小を進め、20年2月には米軍の撤退期限などで合意に至った。

2021.4
バイデン米政権が9月11日までに
アフガン駐留軍の撤退を完了させると発表

 2021年1月に発足したバイデン政権は9月11日までにアフガンからの米軍撤退を完了させる方針を表明。その後、期限を8月末に前倒しした。

2021.8
タリバンがアフガンのほぼ全土を制圧

 米軍撤収完了を前にして、タリバンがアフガンの首都カブールを制圧し、ガニ政権はあっけなく崩壊した。

Chapter 3

9.11のキーワード

ビンラディンとアルカイダ

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 ウサマ・ビンラディン容疑者は1957年、サウジアラビアの裕福な一族に生まれた。ソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗するイスラム義勇兵「ムジャヒディン」を支援し、88年ごろに後に国際的なテロ組織となる「アルカイダ」を設立。90年代以降、アフリカや中東などで米国を標的にしたテロを続けて実行し、96年からアフガン国内に拠点を置いた。
 2001年の米同時多発テロを首謀したとして、米国から国際指名手配をかけられる。米英軍がアフガンで軍事作戦を展開すると、05年8月から隣国パキスタンの北部アボタバードに潜伏したが、11年に米海軍特殊部隊に急襲されて死亡した。
 規模を縮小したアルカイダはタリバンとの連携を続け、数十人から500人の戦闘員がアフガンで活動しているとみられている。

アフガニスタン

 人口は3890万人。大半がイスラム教徒でパシュトゥンやタジクなどの民族で構成されている。古代から諸勢力が統治し、19世紀後半に英国の保護領となったが、英国との戦闘を経て1919年に独立。79年に当時のソ連が親ソ派政権の支援を名目に侵攻したが、米国などが支援するイスラム義勇兵の抵抗に遭い、89年に撤退。その後は内戦状態となったが、96年にイスラム原理主義を掲げるタリバンが政権を樹立した。
 米同時多発テロ後に米国などによる攻撃を受け、タリバン政権は崩壊。2004年には同国で初めての大統領選で勝利したカルザイ氏が親米政権を発足させた。その後、政府軍と勢力を回復させたタリバンとの間で戦闘が続き、米軍撤収を前にした2021年8月にガニ大統領が国外逃亡し、政権はあっけなく崩壊した。

タリバン

 アフガニスタンのイスラム原理主義の神学生らが1994年、ムハマド・オマル師を中心に結成したスンニ派武装集団。アフガン南部を拠点として勢力を拡大し、隣国パキスタンから支援を受け、96年に政権を樹立。当初は多くの国民から支持を得ていたが、女子教育を禁じるなど厳格なイスラム教の解釈による統治が国内外の反発を招いた。
 米同時多発テロ後、米国はアフガンを活動拠点としていたビンラディン容疑者の身柄引き渡しを要求したが、タリバン側は拒否。米英軍の攻撃を受け、12月に政権が完全に崩壊した。その後、パキスタンとの国境周辺へ逃れて徐々に勢力を回復し、米国と20年に和平合意を結んだ。その後は士気が低いアフガン政府軍への攻勢を続け、2021年8月に首都カブールなど国土の大半を支配下に収め、20年ぶりに実権を掌握した。

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