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テレビ60周年!の巻

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テレビ60周年!の巻
テレビ60周年!の巻

テレビ誕生から60年 撮影エピソード 黒柳徹子 

テレビ放送開始から60周年。
大卒初任給が1万円程度だった1950年代、テレビはほぼ米国製で30万円前後と高額で、街頭や喫茶店に客寄せで置いてあったくらいの貴重品でした。
日本のテレビ放送は53年2月1日にNHKがスタート。
当時、テレビは高価だったため、一般家庭ではとても購入することができず、駅などに設置された「街頭テレビ」を見にいくものでした。
翌54年には力道山の登場で一気にテレビ人気が爆発。
東京・新橋駅前広場には2万人が集まりました。
テレビ放送開始から60周年。 大卒初任給が1万円程度だった1950年代、テレビはほぼ米国製で30万円前後と高額で、街頭や喫茶店に客寄せで置いてあったくらいの貴重品でした。 日本のテレビ放送は53年2月1日にNHKがスタート。 当時、テレビは高価だったため、一般家庭ではとても購入することができず、駅などに設置された「街頭テレビ」を見にいくものでした。 翌54年には力道山の登場で一気にテレビ人気が爆発。 東京・新橋駅前広場には2万人が集まりました。
NHKから遅れること半年、53年8月28日、日本テレビが民放初の本放送を開始。
54年、力道山が空手チョップでシャープ兄弟に勝利して、敗戦で打ちひしがれていた国民は大喜びし、「テレビを我が家に」という風潮が広まります。
その後、高度経済成長期へと突入。
58年にはテレビ局の電波を送信する総合電波塔として建築された東京タワーが完成し、59年には皇太子ご結婚のパレードが中継されました。
60年、米国・キューバに次いで世界で3番目にカラーテレビの本放送がスタート。
63年には日米間で初の衛星中継実検が行われ、ケネディ大統領の暗殺が伝えられます。
64年、「東京五輪」が世界で初めて生中継。
これにより、大イベントはテレビで見るという習慣が定着しました。
69年の「アポロ11号」の月面着陸中継は世界で6億人、日本人の約90%が視聴。
多チャンネル時代へと突入し、2011年、全放送がデジタル化しました。
テレビは日本の復興・成長と共にあったのです。
NHKから遅れること半年、53年8月28日、日本テレビが民放初の本放送を開始。 54年、力道山が空手チョップでシャープ兄弟に勝利して、敗戦で打ちひしがれていた国民は大喜びし、「テレビを我が家に」という風潮が広まります。 その後、高度経済成長期へと突入。 58年にはテレビ局の電波を送信する総合電波塔として建築された東京タワーが完成し、59年には皇太子ご結婚のパレードが中継されました。 60年、米国・キューバに次いで世界で3番目にカラーテレビの本放送がスタート。 63年には日米間で初の衛星中継実検が行われ、ケネディ大統領の暗殺が伝えられます。 64年、「東京五輪」が世界で初めて生中継。 これにより、大イベントはテレビで見るという習慣が定着しました。 69年の「アポロ11号」の月面着陸中継は世界で6億人、日本人の約90%が視聴。 多チャンネル時代へと突入し、2011年、全放送がデジタル化しました。 テレビは日本の復興・成長と共にあったのです。
53年、6000人の受験者の中でたった13人の合格者に選ばれ、NHK放送劇団に入団した黒柳徹子さんはテレビ女優第1号。
当時は、ドラマ中にドアが外れてはめこんであったガラスが落ちてしまったり、置いていない設定のものがあったりと、生放送ならではのハプニングがあったとか。
また、せりふを暗記できない俳優はセットの野菜にせりふを書きこみ、どうしようもない時は「終」のフリップをカメラの前に出して番組を強制終了させることもあったそうです。
53年、6000人の受験者の中でたった13人の合格者に選ばれ、NHK放送劇団に入団した黒柳徹子さんはテレビ女優第1号。 当時は、ドラマ中にドアが外れてはめこんであったガラスが落ちてしまったり、置いていない設定のものがあったりと、生放送ならではのハプニングがあったとか。 また、せりふを暗記できない俳優はセットの野菜にせりふを書きこみ、どうしようもない時は「終」のフリップをカメラの前に出して番組を強制終了させることもあったそうです。
60年がたち、技術は進歩したものの、内容については視聴率至上主義で「新しさ」や「面白さ」ばかりを重んじ、低俗だと批判されることも。
世界で初めてブラウン管受像機に「イ」の字を映し、テレビ放送の実用化とテレビ技術の発展に大きく貢献した「テレビの父」故・高柳健次郎氏に恥じない番組を作ってほしいものですね。
テレビは戦後日本を支えてきた一つの文化であり、これからも世の中に影響を与えていく媒体でありつづけるでしょう。
60年がたち、技術は進歩したものの、内容については視聴率至上主義で「新しさ」や「面白さ」ばかりを重んじ、低俗だと批判されることも。 世界で初めてブラウン管受像機に「イ」の字を映し、テレビ放送の実用化とテレビ技術の発展に大きく貢献した「テレビの父」故・高柳健次郎氏に恥じない番組を作ってほしいものですね。 テレビは戦後日本を支えてきた一つの文化であり、これからも世の中に影響を与えていく媒体でありつづけるでしょう。

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