大阪の旧制茨木中(現・府立茨木高校)に伝わるジョニー・ワイズミュラーの写真は、外国選手が一人も来日しなかった1940(昭和15)年の撮影ではないことが明らかになった。おそらく証言者の記憶違いだったのだろう。
日本水泳連盟の記録を調べると、ワイズミュラーは、28(昭和3)年のアムステルダム五輪後、初来日した。水泳選手としての来日はこの1回だけだ。朝日新聞の田畑政治(後の日水連会長)の発案で五輪金メダリスト6人を招待した国際水上大会に出場するためだった。東京は10月13、14日に玉川プールで、大阪は同21日に築港プールで開催された。
アムステルダムで日本水泳陣は、200メートル平泳ぎの鶴田義行が史上初の金メダルに輝くなど、計3個のメダルを獲得。1万人収容の玉川プールの仮設スタンドは人であふれたという。
この記事は有料記事です。
残り495文字(全文849文字)
毎時01分更新
菅義偉首相は27日、与党幹部2人が緊急事態宣言下で東京・銀…
史上最多の63校が出場し、1月9日に閉幕した第100回全国…
<科学の森> 東京電力福島第1原発の廃炉作業では、多くの課…