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取材は大詰めを迎え、私はクリスマスの東京に向かった。85年前の大会を知る人は見つからず、なかなか事実に近づけない。だが旧制茨木中(現・大阪府立茨木高)出身の高石勝男の追悼集(1967年発行)を読むうち、「もしや」と思う1枚に出合った。
早稲田大水泳部のOB会副会長、地平達郎(65)が保存する、その集合写真には、プールサイドに25人の選手が写っている。「ジョニー・ワイズミュラーはここ、この人が高石さん」。後方の白っぽい木やプールの細部、角帽の学生など、茨木中の写真に酷似している。ワイズミュラーのしま模様の水着も同じだ。
<東京大会と大阪大会の間に、午後の一刻、一行が高石記念プールを訪れた。リレーのほか、混合チームで水球を行い、ゲーム中曲技を披露するなど、誠に楽しい一刻であった>
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