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記者が見たW杯

ドイツ大会 オーストラリア戦、10分の惨劇

【オーストラリア3−1日本】後半39分、オーストラリアのティム・ケーヒル(左端)の同点ゴールが決まる=フリッツ・ワルター競技場で2006年6月12日、竹内幹撮影

2006年ドイツ大会

 ワールドカップ(W杯)もオリンピックもアスリートは4年に1度の瞬間に全てをかけている。多くの困難を乗り越えてたどり着いたはずの舞台で、すべての準備が一瞬にして否定されるような結果はあまりにも残酷だ。2006年6月12日。ドイツ大会1次リーグF組の日本がオーストラリアに1−3で敗れた初戦がそうだった。

 先制点は日本だった。前半26分、中村俊輔(当時セルティック)がゴール前に上げたクロスボールが、飛び出した相手GKの頭上を越えてゴールに吸い込まれた。その前の日韓大会で代表入りが確実視されながら、まさかの落選。涙をのんだ名手のラッキーゴールは勝利の女神が4年間の思いに報いてくれたと感じて、震えた。

 激しい攻防は日本がリードしたまま試合は残り5分余り。ロスタイムを含めて10分ほどで惨劇は起きた。後半39分と44分に途中出場のケーヒルに同点と逆転ゴールを許して、ロスタイムにも3点目。1次リーグ突破がかなり厳しくなる結果だった。森に囲まれた美しい町、カイザースラウテルンのピッチにまぶしすぎるほど降り注いだ初夏の日差しの光は今でも目の奥に焼きついている。

 ドイツ大会を率いたのはブラジルの英雄、ジーコ監督だった。選手の個性と意思を尊重して自由を与え、試合中も多くは指示をしない。ただ、オーストラリア戦では後半に選手交代を使い、勝ち切るためには「攻めろ」のシグナルを送っていた。それを酌み取って前に出た攻撃陣と、引いて固めれば守り切れると感じた守備陣。それぞれの自由な意思がかみ合わずに中盤にぽっかりと穴が開いた。そこを突かれた。4年間選手を信じてきたジーコ監督にとっても過酷な結末だった。【小坂大=02年日韓、06年ドイツ大会取材】

       ◇          ◇

 サッカーのW杯に日本代表が初めて出場したのは1998年のフランス大会。もうすぐ始まるブラジル大会まで5大会連続で世界に挑戦してきました。過去の4大会を取材した記者が、各大会の熱戦、ファンの熱狂を振り返ります。

【オーストラリア3−1日本】前半26分、中村俊輔のクロスボールが、飛び出した相手GKの頭上を越えてゴールに吸い込まれて日本が先制=フリッツ・ワルター競技場で2006年6月12日で、ゲッティ
【オーストラリア3−1日本】先制ゴールを決めて喜ぶ中村俊輔=フリッツ・ワルター競技場で2006年6月12日で、ゲッティ
【オーストラリア3−1日本】ジョン・アロイジの3点目=フリッツ・ワルター競技場で2006年6月12日で、ゲッティ
【オーストラリア3−1日本】後半ロスタイム、ジョン・アロイジに3点目となるゴールを決められ、天を仰ぐ中田英寿=カイザースラウテルンで2006年6月12日、森田剛史写す
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