大和撃沈70年

「小さきもの」を守れなかった巨大戦艦

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やまおり・てつお 米サンフランシスコ生まれ。83歳。東北大文学部印度哲学科卒。国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任する。2002年和辻
哲郎文化賞受賞=京都市中京区で2015年3月23日、後藤由耶撮影
やまおり・てつお 米サンフランシスコ生まれ。83歳。東北大文学部印度哲学科卒。国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任する。2002年和辻 哲郎文化賞受賞=京都市中京区で2015年3月23日、後藤由耶撮影

宗教学者、山折哲雄さんインタビュー

 日本人にとって、戦艦大和とはどのような存在なのか。“不沈戦艦”を生み出した天皇主権下の日本を「いびつな時代」という宗教学者の山折哲雄さん(83)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】

 戦艦大和とは日本そのものでした。大和という国土を象徴し、大和という民族を象徴していたからです。世界で最大最強の不沈戦艦だった。だからこそ、最初の朝廷が置かれた奈良の古代名が与えられたというわけです。大和という言葉は、日本人そのものの源流につながっている。「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」と、本居宣長は詠みました。大和という言葉を耳にして、日本人は何がしか自己の根拠にふれた感情を抱かざるをえない。1隻の戦艦としての存在をそれは超えていた。海戦の主役が航空機となっても、日本海軍の象徴であり続けたというわけです。どうも、富士山との共通性を感じますね。古来、日本人は山を神とあがめてきました。その中心が富士山でした。巡洋艦や駆逐艦を従えて海上を突き進む戦艦大和の雄姿はまるで、富士山のように輝きそびえていたことでしょう。

 「巨大なるもの」への根強い信仰が、日本人にはもともとあります。大和朝廷創成の記紀神話で、天照大神に「国譲り」をした大国主命(おおくにぬしのみこと)は非常に大きな神様でした。皇孫である聖武天皇は「国家鎮護」を祈り、大和の中心に当時最大の盧舎那大仏(東大寺)を祀(まつ)りました。ところが、そうした「巨大なるもの」の傍らに、「小さきもの」が存在していたことに注意しなければなりません。大国主命には少彦名…

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