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漫画で解説

大坂の陣400年の巻

豊臣家が滅亡 戦国時代が終わり天下太平の時代に

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カゲマルくんが、善蔵さんに大坂の陣400年記念の限定メニューだという「大坂城炎上風もりそば」をすすめています。メニューには「大坂」と書かれ、「大阪府」の阪と違うようですが… 実は、江戸時代まで「大坂」と表記していたので、メニューにも「大坂」と書いたそうです。 今年は、大坂の陣から400年。戦国末期、大坂城を築いた天下人豊臣秀吉亡き後、天下分け目の関ケ原の合戦(1600年)で勝利した徳川家康は1603年に江戸に幕府を開きました。しかし豊臣家の影響力はまだ根強かったのです。
秀吉の子、秀頼は大坂城にあり、徳川家に不満を持つ大名も各地にいました。家康にとって豊臣家は葬りたい存在であり、そこで「方広寺鐘銘事件」が起こりました。 秀頼が寄付したお寺の鐘に書かれた文字が徳川家を呪うものだと言いがかりを付けたのです。「国家安康」が家康の名前を切断している、「君臣豊楽」が豊富家の再興を願っていると。 家康は和解条件として秀頼の江戸移住などを示しましたが、豊臣家はそれを拒否し、多くの武士と大坂城に立て籠もりました。 1614年10月、家康は大坂城を攻撃。しかし、堀に囲まれ、守りが堅い大阪城を落とすことは出来ませんでした。城の堀を埋めることなどを条件に終結したのが大坂冬の陣です。
1615年5月、再び家康は大坂城を攻撃しました。堀を埋められた大坂城は守りが弱く、秀頼と淀殿は自害。この夏の陣で豊臣家は滅び、徳川家の全国支配は完成したのです。 豊臣方の武将で大活躍したのが真田幸村です。冬の陣では「真田丸」という出城を築いて徳川軍を苦しめ、夏の陣では家康を追い詰めるに至ったものの、力尽きて討ち取られました。 夏の陣で焼け落ちた天守閣は江戸時代に再建され、現在の天守閣は1931年に市民の寄付で再建した3代目。鉄骨8階建てです。
天守閣の内部は歴史博物館で、文化財を2カ月ごとに入れ替えて展示しています。 再建や改修を経て、長く愛されてきた大阪のシンボル大阪城は、訪れる観光客も多く、外国人にも人気があります。節目の年を楽しもうと燃えている関係者も多く、400年記念のイベントや新しい観光ガイドコースも出来ました。 ところで、限定の「もり」というのは、どんなそばなのでしょう。大坂城の落城を再現した限定メニューで、超激辛のようです。焼きそばならぬ炎上そばですね…

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