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岡崎 武志・評『グレートトラバース』『過ぎ去りし王国の城』ほか

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山と人に支えられた偉業

◆『グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き』田中陽希・著(NHK出版/税抜き1700円)

 深田久弥が選んだ、登山愛好家の指針となる『日本百名山』。これを南から北へ、人力だけで200日強をかけ踏破した男がいる。プロアドベンチャーレーサー・田中陽希の冒険はテレビ放映され、大きな反響を呼んだ。

『グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き』は、その前人未到の記録を、彼が道中つづった日記を中心に書籍化した。山に登ってまた降りる。そして歩く。海峡はシーカヤックで。行動はシンプルながら、アクシデントを切り抜け、彼を応援する人たちとの交流など、読む者の胸を熱くさせる。

 彼が7800キロの列島を縦断し、征服したのは山頂だけではない。雲で覆われた100座目の利尻岳に登頂した際、出た言葉は「ありがとうございました!」。歩いたのは一人だが、その背後で多くの人に支えられていた。

 「僕という小さな人間の旅」と書くが、迎えてくれた山と人のつながりは「大きい」。二百名山を目指す第2弾が、6月以降放送されるという。さあ、楽しみだ。

◆『過ぎ去りし王国の城』宮部みゆき・著(角川書店/税抜き1600円)

 宮部みゆき『過ぎ去りし王国の城』は、中世ヨーロッパの城を描いた一枚の絵が発端となる意欲作。推薦入試で進学の決まった中三の真(しん)は、銀行でその絵と出合い、不思議な体験をする。その絵に描き込んだ自分の分身(アバター)が絵の中で動き出すのだ。美術部員の珠美の助けを借り、絵の中へ。古城の尖塔(せんとう)に閉じ込められた少女。それが10年前の失踪事件につながる? パクさんという大人も巻き込んで、3人の果てしなき冒険が始まる。

◆『女優で観るか、監督を追うか−本音を申せば』小林信彦・著(文藝春秋/税抜き1750円)

 小林信彦『女優で観るか、監督を追うか−本音を申せば』は、『週刊文春』連載コラムの単行本化第17弾。映画、本、社会など目配りが広く、批評眼は鋭い。「笑っていいとも」最終回を見ながら、デビュー間もない頃のタモリとの交流を思い出し、映画「ブルー・ジャスミン」評では、ウディ・アレンが「実は喜劇がうまくない」と書く。大瀧詠一、高倉健、菅原文太、ローレン・バコールへの追悼もあれば、前田敦子を「呆(あき)れるほどうまい」と賞賛する。

◆『文藝的な自伝的な』舟橋聖一・著(幻戯書房/税抜き3800円)

 1976年に死去したことにより未完となった舟橋聖一の自伝が『文藝的な自伝的な』。風俗小説の第一人者で、「夏子もの」ほかが多数映画化もされた。「わたしの人生は縮緬(ちりめん)の肌ざわりからはじまった」という、「らしい」書き出しから、青年期の芸術、文学体験までを描く。鉱毒事件の足尾銅山所長が祖父とは初耳。「一生に重い翳(かげ)となった」という。女性との交渉のシーンの艶っぽさは、さすがの上手(うま)さ。舟橋文学再評価のきっかけになるか。

◆『書影の森−筑摩書房の装幀1940−2014』臼田捷治・著(みずのわ出版/税抜き10000円)

 本体定価1万円も高くない。何ともすごい本だ。臼田捷治『書影の森−筑摩書房の装幀1940−2014』は、名著・良書の出版で読書家の信望篤(あつ)い筑摩書房が、また装幀(そうてい)文化にも寄与したことを、カラー書影を示しつつ証明する。40年刊『中野重治随筆抄』は青山二郎装。『筑摩書房の三十年』は、簡素で存在感のある仕上がり。装幀者は無記名だが、じつは詩人の吉岡実。本好きなら、これ一冊を肴(さかな)に酒が何杯でも飲めること請け合いである。

◆『猫のマルモ』大宮エリー・著(小学館/税抜き1500円)

 登場するのは動物や植物。童話の形をとって、人の心の真実を描き出す大宮エリーの短編小説集『猫のマルモ』。自信の持てない「青ガニのサワッチ」は、「世界は簡単にひっくりかえるんだ。そのまま待つといい」という言葉に勇気づけられる。「杉の木トロール」は、幸せを求める「小さなかすかな意思」の大切さに気づく。みんな迷っているし、みんながんばっている。そして自分も。優しく背中をなでて、そっと押してくれるような小説だ。

◆『偽りの果実』イアン・ランキン/著(新潮文庫/税抜き990円)

 イアン・ランキン(熊谷千寿訳)『偽りの果実』は、警部補マルコム・フォックスのシリーズ新作。スコットランドを舞台に、警察署内の汚職を調査するフォックスはじめ3人の活躍を描く。警察一家の出身で勤続年数15年のポール・カーターは、職権乱用によるセクハラで有罪評決を受けている。しかし、調査を始めると、80年代に活躍した活動家の不審死が浮かび上がる。自国を揺るがす過去をフォックスは暴くことになるのか。警察ミステリーの傑作。

◆『増補 日本語が亡びるとき』/水村美苗・著(ちくま文庫/税抜き880円)

 元本が2008年に刊行されたとき、賛否入り乱れて話題となり、小林秀雄賞を受賞した。水村美苗『増補 日本語が亡びるとき』は、文庫化にあたり大幅に加筆。英語が普遍語になりつつある中、日本語の存在意義と運命を改めて問う。「地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々」ほか、日本近代文学、インターネットなど広範な視点から、この国の母語で今、起きていることを考察する。巻末の「文庫版によせて」からまず読もう。

◆『これで、こころは楽になる へそ曲がりのための名言講座』ひろさちや・著(徳間文庫カレッジ/税抜き900円)

 仏教の教えをわかりやすく説く宗教学者のひろさちや。『これで、こころは楽になる へそ曲がりのための名言講座』は、気楽に読めるのがありがたい。「勝つことでなく参加すること」(クーベルタン男爵」という名言から、阪神タイガースに優勝を望んではならぬ、と諭す。福沢諭吉の「天は人の上に……」の硬直を排し、「天は人の上に二を書いて造る」という慶應大の便所の落書きを紹介する。読むうち、自然に顔がほころんでいくのである。

◆『宮本武蔵 謎多き生涯を解く』渡邊大門・著(平凡社新書/税抜き760円)

 渡邊大門『宮本武蔵 謎多き生涯を解く』を読むと、あの剣豪の正体は不明で、いかに小説、マンガなどのイメージに縛られているかがわかる。そもそも、多くが依拠する二次史料では、出生地でさえ論争の対象となっている。過去の入り乱れる諸説を整理し、検討を重ね、著者は、信用に足る極めて少ない一次史料をもとに武蔵の実像をあぶり出す。巌流島の戦いの異説を見定め、父・無二斎の存在を明らかにするなど、本書の手柄は大きい。

◆『新大陸が生んだ食物』高野潤・著(中公新書/税抜き1000円)

 知らなかった。ジャガイモやトウモロコシ、トウガラシ、トマトなど、我々にとって身近な食べ物の故郷は中南米。『新大陸が生んだ食物』だったのだ。著者で写真家の高野潤は、ペルーやボリビアなど中南米に長年通い続けている。そこで目撃したのは、たとえば色も形も多彩な、見たこともないジャガイモだった。気候や風土に合わせ、野生種からいかに変身していったか。加工法や調理法も含め、多数のカラー写真と文章でたどる。

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おかざき・たけし:1957年生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。近著『上京する文學』をはじめ『読書の腕前』など著書多数

※3カ月以内に発行された新刊本を扱っています

<サンデー毎日 2015年6月7日号より>

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