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<記者の目>ピース又吉さんの小説ブーム=鶴谷真(東京学芸部)

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純文学の復興に期待

 お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さん(34)が初めて書いた本格的な小説「火花」(文芸春秋)が3月の刊行以来39万部に達した。人間の内面を照射する純文学作品は、数万部売れれば成功とされる。紛れもなく大ベストセラーと言える。さらに最近、文壇の登竜門の一つ「三島由紀夫賞」候補となり、話題性は高まるばかりだ。「火花」現象は著名なタレントが書き手のせいもあって奇抜な作品と捉える向きもあるが、「人はなぜ生きるのか」を真っ正面から描く青春小説である。純文学を担当する私はこのブームが一過性に終わらず、名作の読み直しと新進作家の掘り起こしなど「純文学ルネサンス」につながってほしいと願っている。

老舗「文学界」が異例の巻頭起用

 「火花」は文芸春秋が発行する老舗文芸誌「文学界」2月号の巻頭に掲載された。演劇界や映画界から出発した人材が文学へ越境するのは珍しくないが、芥川賞作家を多数輩出してきた同誌がお笑い芸人を起用するのは異例だ。

 主人公は2人の売れない芸人。語り手となる「徳永」(20歳)と、彼が心酔する師匠の「神谷」(24歳)。彼らは東京の片隅で、笑いの神髄を探る問答を繰り返す。神谷は「本物のボケとツッコミ」を狂気的に追い求めて世間から孤立する。対照的に徳永はそこそこ売れ始める−−。

 文芸春秋は当初これほど大きな反響があるとは予想していなかったが、普段は書店に足を運ばない読者が詰めかけたため、1933年の創刊以来初めてとなる増刷で、累計4万部を既に完売し、単行本も6回重版している。

 人間の悩める内面をえぐり出し、問題が解決しないのが純文学の典型であり、青春小説はその王道と言える。

 時に難解で重苦しいが、折々に社会に衝撃を与えブームになった。最も権威があるとされる純文学の新人賞、芥川賞で見ると、代表的なのは石原慎太郎さん「太陽の季節」(55年下半期)、村上龍さん「限りなく透明に近いブルー」(76年上半期)、最近では金原ひとみさん「蛇にピアス」と綿矢りささん「蹴りたい背中」(いずれも2003年下半期)などがある。享楽的だったり退廃的だったりする風俗を活写する作風、あるいは若い女性の書き手が強い驚きを呼んだ。

 「火花」が7月選考の芥川賞候補になるかどうかは別として、このブームも、「太陽の季節」などが時代を画する作品と受け止められたのと同じ流れにあるのではないか。

 「愛読書は太宰治」と言ういっぷう変わった人気芸人が小説を書き、まずは又吉ファンが反応した。文芸春秋によると、書店で「火花」を買っている層の傾向は、30代と40代の女性が全体の3割、20代と50代以上の女性がそれぞれ2割を占めるという。全体の7割が女性であり、青春小説の本来の読み手よりはやや上の世代だ。やはり、又吉さん個人の人気が先行している。

読者引きつける巧みな若者描写

 だが中身は本物だ。

 三島賞は小差で受賞を逃したものの、選考委員の一人で作家の辻原登さんは「見事な職業小説であり青春小説。若者がどう生きているのかがリアルに描かれている」と称賛した。何よりも、生きる世界がどんどん狭くなっていく神谷を、徳永が温かく肯定するところに妙味がある。夢破れて退場していった芸人仲間たちをも認めるくだりは、現実社会の葛藤の中で生きる私たちの心にぐっと響いてくる。

 この機会に他の青春小説を手に取ってほしい。古くは戦前の40年、「文学界」に発表された田中英光の「オリンポスの果実」。32年の米ロサンゼルス五輪に向かう日本選手団の航海を舞台に、ボート男子選手の陸上女子選手への純愛を切々と描く。

 個人的には、村上春樹さんの「ノルウェイの森」(87年)と宮本輝さんの「青が散る」(82年)が忘れられない。前者は19歳の時に読み、悲しみの音調に満ちる世界を美しいと思った。後者は35歳で読んだ。進学、恋愛、クラブ活動に就職……思うに任せなかった大学時代の痛みを思った。どちらも立ち上がれないほど感動し、今でも再びページを繰るのが怖い。なぜなら、両作の主人公たちのように愚直に生きようと誓った私の現在地を教えられるから。

 優れた純文学は、狭い世界を描いていても、必ず読者の現実に絡み合う。明るくはなくても救いがある。

 「火花」は書き手がたまたまお笑い芸人だっただけだ。出版各社は二番煎じに走らず、本物の青春小説を堂々と押し出してほしい。難解で観念的な問いも多い「火花」が多くの支持を得たように、無数の読者が待っている。「火花」ブームはそれを教えてくれていると思う。

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