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漫画で解説

沖縄戦の悲劇の巻

「鉄の暴風」と呼ばれた壮絶な地上戦 米軍基地の負担今も

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善蔵と菊さんが、沖縄戦70年を伝えるテレビニュースを見ています。 沖縄では、多数の民間人が犠牲になりました。第二次世界大戦末期の1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸し、激戦になったのです。米軍54万8000人に対し、日本軍は現地召集の防衛隊、学徒隊を合わせても10万2000人と、兵力差は圧倒的でした。 壮絶な地上戦は「鉄の暴風」と呼ばれました。司令官の牛島満中将が6月23日に自決し、組織的戦闘は終わったのですが、その後も戦闘が続き、住民の犠牲者は推計9万4000人、軍人を含め20万人以上が命を落としたのです。
読谷村(よみたんそん)では、避難した「ガマ」(壕=ごう)によって運命が分かれました。「シムクガマ」の1000人ほどの住民は、ハワイ帰りの男性の「米国人は住民を殺さないよ」という説得に応じ、投降しました。 一方、小規模な「チビチリガマ」では、「自決しよう」という提案に賛否が割れ、約140人中83人が集団自決で亡くなる惨劇になりました。 「米兵に辱めを受けるよりも死ぬ方がいい」という考えを軍に信じ込まされていたか、集団自決を強いる圧力がなかったかが、決定的な違いを生んだのです。
米軍は沖縄本島上陸に先立ち、慶良間列島に上陸しました。 渡嘉敷島で329人、座間味島で171人、慶留間島でも53人が集団自決したのです。もっと多いという研究もあります。 学徒隊や、ひめゆり学徒隊といった多くの生徒たちも亡くなりました。学徒隊は、師範学校や県立中学など21校から男子1399人、女子約500人が軍に動員されたのです。 ひめゆり学徒隊は、師範学校女子部と県立第一高等女学校の222人と教師18人が負傷兵の看護などに当たっていました。このうち生徒は123人、教師は13人が死亡しました。
日本の降伏で、米軍は1972年まで沖縄を占領していました。2015年5月15日、沖縄県は本土復帰から43年を迎えたのです。 今でも沖縄本島面積の18%は米軍基地で、日本の米軍専用施設の4分の3が沖縄に集中しています。 こんなに海がきれいな場所で、苦しみが今も続いているのです。

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