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<戦後70年これまで・これから>原爆、科学者の苦悩深く 投下直前、使用に抵抗 米の資料

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 1945年初夏、日本への原爆投下を回避するよう求める報告書「フランク・リポート」が米政府に提出された。報告書をまとめた米シカゴ大の核科学者は、原爆投下が核兵器開発競争を招くという強い危機感を共有していた。毎日新聞が米研究機関から入手した当時のメモから、原爆使用に抵抗した科学者らの苦悩が浮き彫りになった。

 6月4日夜、米国の核兵器開発計画「マンハッタン計画」の一翼を担っていたジェームズ・フランク博士(当時62歳)らシカゴ大の核科学者7人がひそかに集まった。

 会議は緊迫した。シカゴ大図書館に保存されている記録によると、7人は「恐らく戦争に勝つのに原爆は必要ない」「日本に無予告で投下すれば、他国は米国に恐れと不信を感じ、核兵器開発競争は避けられなくなる」と次々に危機感を表した。

 25年にノーベル物理学賞を受賞したフランク博士を含め、多くの核科学者は、ナチス支配下のドイツから亡命し、米国の原爆開発に協力していた。だが、5月にドイツが降伏し、ナチスが先に原爆を製造する可能性が消えると、「それでも使うのか」と強い疑問を抱く。

 フランク博士が45年春に書いたとみられる手書きのメモがシカゴ大に残る。「倫理的、政治的な準備がないまま、人類は原子爆弾を手に入れてしまった」「地球上の人類の文化と生命にとって致命的な危機」−−。細かい字でぎっしりと懸念がつづられていた。

 6月9日、フランク博士は「人類は(原爆使用の)危険性に気づいていない」と警告し、日本への投下に反対する報告書をまとめ、11日にスティムソン陸軍長官のオフィスに届けた。だが、米国立公文書館の資料によると、マンハッタン計画の主導者オッペンハイマー博士らは「(科学者には)核時代の到来がもたらす政治、社会、軍事上の課題について主張する権限はない」と即時使用を提唱。7月25日、トルーマン大統領は原爆投下を承認した。

 フランク博士は47年、核科学者への講演で、核兵器開発を「我々の罪だった」と話し、「(科学者が)科学にだけ関心を向けていては全人類を苦しめるパンドラの箱を開けることになる」と訴えた。

 第一次大戦で毒ガス兵器、第二次大戦でプルトニウム製造に携わったフランク博士。晩年の62年、「我々は人類を不幸にする多くのことを発見してきた」と発言。原爆使用の危険を警告した報告書については「私は代弁者だった。原爆開発に関わらねばならなかった多くの仲間がそう感じていたのだ」と振り返った。【米中西部シカゴで清水憲司】


 ■ことば

フランク・リポート

 原爆の政治的・社会的影響を評価する委員会報告書。核軍拡競争のきっかけとなることを恐れ、日本への無警告の原爆投下に反対。国際連盟の加盟国代表を砂漠か孤島に招いて核爆発を見せ、その後、米国が使用放棄を宣言することで、核管理の道を開こうとした。

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