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<被爆者治療セズ>「研究対象」救えず 日系2世医師ら、葛藤

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 世界で初めて使用された核兵器の威力を調べた研究データは、冷戦下の核を巡る国際情勢や政治的な都合に左右され、被爆者の「切り捨て」は今も続く。被爆70年の今年、毎日新聞が入手した資料や証言から、研究の最前線にあった米原爆傷害調査委員会(ABCC)を巡る暗部を追った。

    ◇

 ABCCの初期の様子を知る医師が、米国西部ワシントン州で健在だった。日系2世のジェームズ・ヤマザキさん(99)。1949〜51年、長崎のABCCで小児科医として勤め、母体内で被爆した「胎内被爆者」の研究を担当した。60年以上前の記憶をたどり「目の前に患者がいるのに、何もしないわけにはいかなかった」と語った。

 太平洋戦争中、生まれ育った米国に忠誠を尽くすため軍医になり、欧州戦線に従軍した。戦後の職場がABCCだった。両親の祖国はみすぼらしく、「原爆の被害はあまりにも生々しかった」。当時は妊婦に梅毒が流行しており、「日本の医師免許がなく治療は違法だったが、ペニシリンを使って内緒で治療した」と証言した。

 ABCC関連資料を保管する米テキサス医療センター。「原爆のひどい傷痕にもかかわらず、少年はまるで息子のトミーのように、愛らしい笑みをたたえていた」。広島のABCCに勤めていたウィリアム・マロニー医師(故人)が53年9月につづった日記が残されていた。白血病に苦しむ9歳の男児を前に、一人の医師として葛藤していた。「この病気の治癒に少しでも貢献できれば、私は許されるのではないか」

 元職員の証言によると、ABCCには日本人医師もおり広島には病室が10床。白血病などの重症患者が入院し、費用もABCCが負担したとされる。

 しかし、米国が、被爆者を本格的に治療する態勢を整えることはなかった。冷戦下で米ソの対立が激化し、核開発競争にしのぎを削っていた時代。米ペンシルベニア大のスーザン・リンディー教授(科学史)は「ABCCの関心は生物医学的な研究であり、被爆者の治療を組み込む発想がそもそもなかった」と指摘する。米国の原爆投下責任を問うことにつながる事態を避ける意図もあったとみる。

 その結果、研究対象でしかなかった被爆者の心には深い傷が残った。ABCCは50年代前半、広島にいた5〜19歳の4800人について成長と発育を調査し、体の隅々まで調べあげた。(この連載は広島支局・吉村周平、石川裕士、大阪社会部・木村健二が担当します)


 ■ことば

米原爆傷害調査委員会(ABCC)

 原爆放射線が人体に及ぼす長期的な影響を調べるため、トルーマン米大統領の指示で設置された研究機関。1947年に広島で活動を始め、48年に長崎にも研究拠点を置いた。日本側からも国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)が参加し、被爆者らを追跡調査した。

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