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岡崎 武志・評『「谷根千」地図で時間旅行』『富士山噴火』

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100年なんて、ひとっ飛び

◆『「谷根千」地図で時間旅行』森まゆみ・著(晶文社/税抜き1800円)

谷中・根津・千駄木。かつて地味な寺町だったが、今や外国人含め、観光客が押し寄せるエリアとなった。その発端を作ったのが『谷根千(やねせん)』。森まゆみとその仲間が25年続けた地域雑誌だ。

 古地図を開く、土地の住民に昔の話を聞く。その体験を、江戸から昭和の地図上で辿(たど)るのが『「谷根千」地図で時間旅行』だ。江戸切り絵図はもちろん、古老からの聞き書きによる手製地図もふんだんに掲載され、何とも楽しい。

 江戸の地図は正確で、谷中は「ほとんど現在と同じ地形や道」が認められる。昔と今が、地図上で交差する快感に、著者の記憶の堆積(たいせき)が生動していくのだ。100年などひとっ飛びだ。「思い出だけで生きていけるような気持ちになります」と著者は「あとがき」で書く。本当、その通り。

 また、驚いたことに本書の造本は、今やめったに見ない「糸綴(と)じ」を採用。おかげでページが水平に開く。非常に見やすい、読みやすい。折りごとに赤い糸が見えると、ちょっとうれしい。

◆『富士山噴火』高嶋哲夫・著(集英社/税抜き1900円)

 首都直下地震、巨大津波の恐怖を描き、現代日本に小説の形で警鐘を鳴らし続けてきたのが高嶋哲夫。『富士山噴火』は、富士山噴火の危機と対策をシミュレーションする。元自衛隊パイロットの新居見は、平成南海トラフ大震災で妻と息子を失う。自衛隊を辞め、御殿場の老人ホームに勤務するが、富士山噴火の予兆が。噴火予測年は2014年±5年、想定死者1万3000人。日本最大の危機に、新居見が立ち上がる。きわめてリアルな防災小説。

◆『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』梅原猛、呉智英・著(新潮社とんぼの本/税抜き1600円)

 水木しげる93歳。戦争で左手を失い、右手一本で戦後を生きぬいた。梅原猛、呉智英と共著の『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』は、貴重な原画を挟みながら、生ける伝説の人生を追う。貧乏、出雲、妖怪で盛りあがった梅原猛との初対面対談は傑作。「水木しげるQ&A」で「どうして生き残ったか」の質問に、「私は人一倍、生きることが好きだったからです」という答えが素晴らしい。10代で描かれた絵の見事さ。天才、いや妖怪かもしれない。

◆『海嘯』島尾ミホ(幻戯書房/税抜き2800円)

 壮絶な夫婦愛を描いた島尾敏雄の『死の棘』。そのモデルとなった女性が、島尾ミホだ。彼女もまた『海辺の生と死』の作家であり、未完の長編『海嘯』を書き遺(のこ)していた。南の島に住む少女スヨ。ある日、腕にできた異変は、ハンセン病の前兆であった。そして、「ヤマトニセ(内地の青年)」が目の前に現れた。神に守られた浜辺の村に、むせ返るような濃密な自然。頻出する南島の言葉は呪術的で、読者をこれまで体験したことのない世界へ誘(いざな)う。

◆『やりすぎマンガ列伝』南信長・著(角川書店/税抜き1600円)

 『アストロ球団』は、一球一打が命がけ。4年の連載で3試合しか進まず、3選手が死亡した。1960〜70年代、『少年ジャンプ』を中心に、過剰な演出とエネルギーに満ちたマンガが量産された。南信長『やりすぎマンガ列伝』は、いくら何でも「やりすぎ」だろうと思える32作品を紹介し、背景に流れた時代の空気をも読み解く。少年刑務所から手錠のまま通学した『男組』、尻の穴に隠したナイフで凶悪犯を倒す『ドーベルマン刑事(デカ)』などが登場。

◆『母に縛られた娘たち』片田珠美・著(宝島社/税抜き1200円)

 愛情関係が前提になっているからこそ、家族による支配から逃れるのは難しい。『母に縛られた娘たち』で片田珠美は、自身の経験をふまえ、母娘関係の問題点について論じる。母が娘を支配するときの武器は「罪悪感」。娘が「いい子」であればあるほどがんじがらめになるという。解決策の一つは、父が間に入り、母と異なる別の価値観を提示すること。もう一つは、母娘ともに豊かな人間関係を築くこと。風通しのいい関係が大事なのかもしれない。

◆『デフ・ヴォイス』丸山正樹・著(文春文庫/税抜き650円)

 丸山正樹『デフ・ヴォイス』は、山田太一の推薦文を得て文庫化された話題の長編。法廷の手話通訳士を務める荒井は、自分以外「ろう者」の家庭に育つ。17年を隔てて施設で起きた二つの殺人事件、ろう者の父親である加害者など、謎は深まる。手話通訳士として事件に関わる荒井、そこに若き美貌のボランティア団体の女性が加わり、物語は錯綜(さくそう)していく。知られざる「ろう」の現状を踏まえた上で、著者はマイノリティーの世界を描き切る。

◆『くらしとことば』吉野弘・著(河出文庫/税抜き620円)

 2014年に逝去した詩人の吉野弘は、「夕焼け」「祝婚歌」など、広く親しまれた詩を書いた。『くらしとことば』は、日々の感想をつづったエッセー集。著者の詩も随所に引用される。「他人を励ますことはできても/自分を励ますことはむつかしい」は「或る中年に」。人間の生活のために切り倒されてきた「木」を思うエッセーでは「憎しみとか恨みとかいうものが、どうして生じないのだろう。ふしぎな気がする」と書く。心優しき詩人がいる。

◆『シンデレラたちの罪』クリスティーナ・オルソン/著(創元推理文庫/税抜き1300円)

 世界27カ国で刊行された警察小説が、クリスティーナ・オルソン(ヘレンハルメ美穂訳)『シンデレラたちの罪』。スウェーデンの都市を走る高速列車から、靴だけ残して一人の女の子が姿を消した。事件を追うヒロイン、フレドリカ・ベリマンは、元音楽家で犯罪学を学んだ女性刑事。署は、少女の母親と別居中で、暴力癖のある夫に目をつけるが、フレドリカはひそかに自分の推理で調査を続ける。魅力的なプロット、異色のヒロインの活躍で読ませる。

◆『「聖断」の終戦史』山本智之・著(NHK出版新書/税抜き780円)

 山本智之は日本近現代史の研究者。『「聖断」の終戦史』で、1945年8月の天皇による「聖断」の意味を、新たな視点で読み直す。じつは終戦決断のピークはもっと早くになされ、開戦から終戦まで、何度も「聖断」は出された。勝利を前提とした開戦のそれ、対等和平を断念し、敗戦容認の「聖断」まで、指導者層との対立も含め試行錯誤を繰り返してきた。終戦工作の裏側、終戦が遅れた理由、「負けるが勝ち」主義など、敗戦から学ぶ一冊。

◆『忘れられた島々』井上亮・著(平凡社新書/税抜き760円)

 太平洋戦争終結まで、30年も日本の委任統治下にあった南洋に浮かぶ島々。パラオ、サイパンなどのミクロネシアは、現在「楽園」と呼ばれるが、かつて玉砕の戦場となった。井上亮『忘れられた島々』は、日本軍約1万人が戦死したペリリュー島など、「満州で蹴躓(けつまず)き、南洋で奈落に落ちた」現実を明らかにする。国民的熱狂を伴う「南進」ブーム、差別と偏見に満ちた『冒険ダン吉』に描かれた統治ぶりや、サイパンの悲劇など、島々を戦史で結ぶ。

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おかざき・たけし

 1957年生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。『上京する文學』をはじめ『読書の腕前』など著書多数

<サンデー毎日 2015年9月6日号より>

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