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もう一度読みたい

<平和と民主主義>小田実さん「この国は平和憲法でつくられた」=2007年6月

=2004年12月、石井諭撮影

 今は亡き著名人のインタビューを再録する「もう一度読みたい <平和と民主主義>」第10回は、「ベ平連」を結成するなど、行動する作家として知られた小田実さん。インタビューでは、病床にありながらも、遺言のように「小さな人間が世界を変えられる」「自由に考え行動しろ」と説いた。安保関連法の議論の過程では、国会を取り囲む若者たちの声がこだました。一貫した市民目線で、幅広い知識と歴史認識から紡がれる言の葉。若者への期待を語って逝った小田さんの声にもう一度耳を傾けたい。


<2007年6月21日 東京本社夕刊2面から>

 5月初め、作家の小田実さん(75)=兵庫県西宮市=から、長い手紙を受け取った。「末期ガン」の文字があった。「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表として、阪神大震災の被災者として、「現場」で市民の先頭に立ち続け、病気とは無縁だと思っていた。「あと、3カ月、6カ月……あわよくば1年」ともあった。今月初めに訪ねた東京都内の病院。小田さんは絞り出すような声で言った。「おまえと会うのもこれが最後や。小さな人間が世界を変えられる。その認識でやってくれ」。一市民として、よりよい世界への変革を求めてきた生き方がにじみ出ていた。

 病床の小田さんは、心持ち上体を起こし、腕には点滴がつながれていた。やせた分だけ大きくなった瞳がギロッと光る。枝のような両足が、毛布の先から出ている。敗戦の焼け野原から出発し、世界を歩いてきた足。手紙では「デモ行進に出ることも、集会でしゃべることももうありませんが」「できるかぎり、書き続けていきたい」と執念を燃やしていた。妻の玄順恵(ヒョンスンヒエ)さんが「口には出さないけど、歩けないのが何よりつらいと思う。やっぱり“旅の子”だから」と寂しく笑った。

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 大阪市で生まれ育った。終戦の年の3月から、大阪は大空襲を受けた。「死にたくない」。焼夷(しょうい)弾が降る中、燃え盛る街を逃げまどった。黒こげの死体が転がっていた。「殺し、焼き、奪い、そして、殺され、焼かれ、奪われた」。焼け野原に立ち尽くし、見届けた戦争の実態は、それからの思想の原点となる。1946年11月3日、日本国憲法が公布された。「日本が武器を捨てて丸腰となり、他国にも迫る気概があった。平和へのものすごい覚悟だ。革命や」。中学2年の少年は声に出し、繰り返し読んだ。

 「まずアメリカを見てやろう」と思い立つ。58年の夏、海外旅行の自由化の6年前。東大大学院生だった。「フルブライト留学生」として1年間、ハーバード大へ。船旅の後、武者震いしながらニューヨークの摩天楼に息をのんだ。南部で根深い人種差別に触れた。帰途、その足でヨーロッパ、中東、アジアを旅した。ガンジス川のほとりで、インドの貧困にぼうぜんとした。

 「人間みなチョボチョボ(ちっぽけ)や。国籍とか民族にこだわるのはくだらんよ。お互いに対等な市民が手を取り合ってつくっているのが、この世界の本来の姿や」。確信を持って、安保闘争さなかの60年に帰国。翌年、その旅行記を出した。「何でも見てやろう」。高度経済成長を迎えた日本で、若者は先を争ってむさぼり読んだ。

 病床にある今も、変わらぬ思いがある。「平和憲法があるから、世界の人間を相手に堂々と渡り合えたんだ。この国のあり方にとって一番重要なものだ。この国は平和憲法でつくられた国だよ。60年かかって」

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 65年2月、アメリカが北ベトナムに爆撃を始めた。同年4月、「ベ平連」を発足させた。「ベトナム特需に甘んじている私も当事者である。黙っていては永遠の加害者になる。それは困る。自分を切り離さなければ」。そう言って反戦デモの先頭に立った。米軍兵士に脱走を呼び掛け、かくまった。ニューヨーク・タイムズ紙に反戦の全面広告を掲載した。一期一会で集まる市民による、新しい市民運動だった。約10年続けた後、戦争や核問題を問う小説や評論を書きながら、市民が政策を作り、訴える運動に情熱を傾けた。

 そこに新たな災害が降りかかった。95年の阪神大震災。自宅のある西宮市も「万物めちゃくちゃ」。戦後の焼け野原のような街に立ち、公的支援を「ビタ一文」出さない国に「これが人間の国か」と怒った。法の必要性を訴え、被災者生活再建支援法の成立に結びつけた。主役はここでも小さな市民だった。

 初めて小田さんに会ったのはその後、イラク戦争直前の03年3月だった。「正義の戦争なんかない。戦争になれば真っ先に犠牲になるのは市民よ。駆り出されるのも市民。被害者や。それが戦場で人を殺す。被害者であるからこそ加害者になる。この連鎖を断ち切らないとだめだ」

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 そして今、戦後62年を数えるこの夏、小田さんは語る。

 「憲法がなぜ大事か。それは『健康で文化的な最低限度の生活』とか、小さな人間がちゃんと生きていくための基本を押さえた24条(個人の尊厳と両性の本質的平等)、25条(国民の生存権)、26条(教育を受ける権利)があるからだよ。9条はそれを保障するものや。戦争してたら守れんやろ。そしたら日本だけじゃない。この世から戦争をなくさないといけない。前文はそう宣言しとるわけだ。憲法は小さな人間の努力で世界が変えられると主張している」

 手元に、今月刷り上がったばかりの新書がぽんと置いてあった。タイトルは「中流の復興」(NHK生活人新書)。「日本の中流の生活や。それは全世界の全市民が享受できるものだよ。大国を目指すのでなく、憲法の下で平和産業を進めて中流になった日本が、一つのモデルを作ったんだ」

 この思いに逆らうように先月14日、憲法改正の手続きを決める国民投票法が成立した。最低投票率制度もなく、改憲のハードルは低い。「『美しい国』になぜ改憲が必要なのか、さっぱり分からん」と突き放す。平和憲法が現実に合わなくなったとは、よく言われることだ。「憲法の理想に一歩でも近づく努力をするのが政治だろ。ナチスも、時代に合わないと言ってワイマール憲法を棚上げした。そして全権委任法を作ったじゃないか」。第一次大戦の直後、世界で最も民主的と言われたワイマール憲法を、ナチス・ドイツは全権委任法で骨抜きにした。その状況に似た空気を感じ取っている。

 「『小泉劇場』は自民党を『ぶっ壊す』だけだった。今は『安倍劇場』作りからやってるわけだ。中身は何でもいい。平和国家とか言ってそのうちメチャメチャやるよ。怖いね」

 期待できない政府に一喜一憂しても仕方がない。期待するのは若者たちだ。「考えろ。自分に何ができるか、もっと自由に考えろ。考えずに、美しい国づくりに巻き込まれるのはバカだ。日本がどう動くかで、世界が変わるくらいの力を持ってきたんだ。認識は冷静に、それに続く思考は自由に」

 握手をして別れた。平和憲法に理想の生き方を見つけ、地べたをはう人間の生きざまを伝えようとする情熱は、衰えていなかった。【柿沼秀行】

小田実さん略歴

 おだ・まこと。1932年生まれ。東大卒。小説に「HIROSHIMA」「ベトナムから遠く離れて」「『アボジ』を踏む」(川端康成文学賞)など。2006年「これまでの小説をまとめ上げた小説」である長編「終らない旅」を出版。07年5月、胃がんを公表。

=2007年6月21日 東京本社夕刊2面

その後の小田さん…人が読む 今も生かされている言葉

 2007年7月に75歳で亡くなった行動する作家、小田実さんは、妻の玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さん(62)=兵庫県西宮市=を「人生の同行者」と呼んでいた。2人は韓国で拘束された詩人、金芝河の支援運動中の1974年に出会った。21歳差。「同じ方向をみて共に旅をするという意味。小田は照れ屋で妻とは呼べなかった」といとおしんだ。

 2人は阪神淡路大震災後、被災者の直接救済の必要性を訴えて活動し、1998年に被災者生活再建支援法として結実した。その仲間の1人が小田さんの死後、「小田さんだったらどう言うだろう」と口にしたのを機に、玄さんは活動拠点だった芦屋市のサロンで、小田作品を読む読書会を始めた。月1回のペースで10月24日には80回目を迎える。

 参加者の平均年齢は60代。「当初受け身だった人も、少し挑発的な質問をするとしっかりした意見をおっしゃる。今では発言することが根付いた」と玄さんはうれしそう。小田さんの「市民」の定義が「自分の意見を言うこと」だったからだ。

 ある時、参加者が「どうして今まで読んでこなかったのか」とつぶやいたのを聞き、玄さんは悟ったという。「やはり言葉は生きている。読む人を通じて、再び生かされているんだ」。

 小田さんが、東日本大震災とそれに続く今の日本を見たら、どう行動し何を口にしただろうか。玄さんは語った。「民主主義とは何か。それは、異質の価値を持った人が共に生きること。小田が言い続けた言葉です」。【平野美紀】

<「平和と民主主義」は今回で終了し、26日から「文士たちの人生相談」を掲載します>

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