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<初のノーベル賞 湯川秀樹3>天才科学者はなぜ平和運動に取り組んだのか

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米国のプリンストン高級科学研究所前で話し合うアインシュタイン博士(左)と湯川秀樹博士=1953年6月撮影
米国のプリンストン高級科学研究所前で話し合うアインシュタイン博士(左)と湯川秀樹博士=1953年6月撮影

 東西冷戦の下、米国とソ連が核兵器開発競争を繰り広げるなか、最初の被爆国・日本の原子物理学者がノーベル賞を受けたことは、日本と世界、そして湯川秀樹博士にとっても特別な意義を持っていた。湯川氏は、こうした状況にも影響を受け、自らも、核兵器廃絶を目指す運動に関わっていく。アインシュタイン博士ら、当時の第一線の科学者ら11人が連名で核兵器廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955年)に日本人としてただ一人署名。宣言に賛同する世界の第一線の科学者らにより、その2年後から開催されるようになった「パグウォッシュ会議」(湯川氏の死後の95年にノーベル平和賞を受賞)に初回から参加し、平和を実現するための積極的な発言をしていく。

 ラッセル・アインシュタイン宣言には次のような一節が記されている。

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