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<初のノーベル賞 湯川秀樹3>天才科学者はなぜ平和運動に取り組んだのか
2015/11/11 10:30(最終更新 11/11 16:51)
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東西冷戦の下、米国とソ連が核兵器開発競争を繰り広げるなか、最初の被爆国・日本の原子物理学者がノーベル賞を受けたことは、日本と世界、そして湯川秀樹博士にとっても特別な意義を持っていた。湯川氏は、こうした状況にも影響を受け、自らも、核兵器廃絶を目指す運動に関わっていく。アインシュタイン博士ら、当時の第一線の科学者ら11人が連名で核兵器廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955年)に日本人としてただ一人署名。宣言に賛同する世界の第一線の科学者らにより、その2年後から開催されるようになった「パグウォッシュ会議」(湯川氏の死後の95年にノーベル平和賞を受賞)に初回から参加し、平和を実現するための積極的な発言をしていく。
ラッセル・アインシュタイン宣言には次のような一節が記されている。
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