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堀 和世・評『二十世紀酒場(一) 東京・さすらい一人酒』多田欣也/絵・文

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しらふとは酩酊する権利であり 街は酒場と巡り合う装置である

◆『二十世紀酒場(一) 東京・さすらい一人酒』多田欣也/絵・文(旅と思索社/税抜き1500円)

 安いなあ、この店。焼き鳥2本で60円か。そう言うと、厨房(ちゆうぼう)の主がぎょっとした顔で品書きの短冊を確かめ、まいったなあという顔をする。

 むろんそんなはずはない。「280円」の二八を無理やり六と読んで遊んでいるのだ。もとより手書きだから成り立つ話で、ファミレス風の写真メニューブックではこうはいかない。

 東京・池袋、美久仁小路のFではいつも壁の短冊から「ハムカシ」380円を選ぶ。隣にかかるのは「メンチカシ」430円だ。ツがシになる品書きを見つけるのは大衆酒場で飲む楽しみの一つだが、ソとンまであべこべの店もあり、串焼きのタンハツカシラがタソハシカツラになっている。煙で黄ばんだ短冊には手の温もりが消し炭のように残っているあんばいで、安心して酩酊(めいてい)できる。

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