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社説

2016年を考える イスラムと米国 融和と共生への知恵を

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 1909年、韓国統監だった伊藤博文は、ロシアから来たイスラム教徒のアブデュルレシト・イブラヒムを別荘に招いた。遠来の客からイスラム教の話を聞き、一緒に「アラーの他に神はなく(預言者)ムハンマドは神の使徒なり」と朗唱もした。イスラム教徒にとって大切な「信仰の告白(シャハダ)」である。

 元宰相が入信したわけではないが、イスラム教の話に感じ入った伊藤は「なんということ! 承服できないことは一つもない。これは大変気に入った」「私もたえずこうしたものを追求してきました」と語ったという(イブラヒム著「ジャポンヤ」第三書館)。伊藤が暗殺される数カ月前のことだ。

憎悪と排斥は思うつぼ

 そのシャハダが昨年12月、米バージニア州で激しい論争と緊張を呼んだ。ある高校の教師がアラビア語で記したシャハダのカリグラフィー(飾り文字)を書き写す課題を出したところ、生徒の父母らが「子供をイスラム教に改宗させる気か」などと反発し、学校への脅迫状も舞い込んで、安全上の配慮から同じ地域の学校が一斉休校する騒ぎになった。

 今の米国社会と100年も前の日本の政治家の言動を同列に論じる気はないが、伊藤のおうような態度に比べると米国の殺気立った空気が際立つ。日本にもイスラム教を嫌う人もいるから一概には言えないにせよ、米国民が異文化への寛容さを失っているのは明らかだろう。

 米国では11月の大統領選に向けて2月から民主、共和両党の候補者を決める予備選が始まる。過激派組織「イスラム国」(IS)によるパリ同時多発テロ(昨年11月)以来、米国ではイスラム教徒への嫌がらせや犯罪が激増し、野党共和党の候補のうち不動産王のトランプ氏は「イスラム教徒の米国入国禁止」を唱えて拍手喝采を浴びた。

 だが、16億人のイスラム教徒一般への憎悪や排斥は世界の分裂を狙うISの術中にはまるだけだ。大統領選ではポピュリズムに陥らず、イスラムとの融和・共生など世界的な課題で超大国の知恵を競ってほしい。

 米国はあいまいな情報に基づくイラク戦争で多くの市民を殺傷した。戦争で倒れた旧政権や軍関係者がISの結成にかかわったともいう。イラク戦争との因果関係で今の中東情勢を論じれば、米国はシリア難民についても「我関せず」では通るまい。

 2001年9月11日の米同時多発テロの宿題に向き合うことも大切だ。首謀者の故ウサマ・ビンラディン容疑者は、レバノンやパレスチナにおけるイスラエルと米国の振る舞いに怒り、同じ苦しみを米国に与えようと思ったと語っている。

 テロリストに迎合することはないが、口実とされる不合理な現実は改善すべきだ。パレスチナでは9・11後もイスラエルの軍事行動でおびただしい血が流れている。米国の「イスラエル偏愛」「イスラム軽視」は15年前と変わっていないと思うのはイスラム教徒だけではあるまい。

溶解する国境と国家

 第二次大戦時、仏ビシー政府の国務大臣を務めた歴史家ジャック・ブノアメシャンは、アラブの部族社会を砂にたとえた。手の中に砂を握りしめることはできるが、一つ一つの粒が独立しており、ひとかたまりにはしにくい。握っている力が緩めば砂は指の間からこぼれて、またバラバラになってしまう、と。

 国民としての意識より血縁や地縁、宗派の結びつきが優先するという意味だろう。そんなアラブ世界での「握る力」とは、列強の植民地支配であり、各国独立後の強権政治であり、91年の湾岸戦争後に強まった米国の影響力だった。だが、独裁政権は民衆運動「アラブの春」で崩壊するか大きく揺らぎ、米国はアフガニスタンとイラクでの戦争に疲れ、「我々は世界の警察官ではない」として自ら存在感を薄めつつある。

 それ自体が悪いのではない。問題は、こぼれる「砂」が力と政治の空白を生み、テロ組織に都合のいい環境を作り出すことだ。内戦が続くシリアとイエメン、破綻国家とも呼ばれる無秩序状態のリビア。「他の国々でも中央政府の権力が及ばない領域が拡大し、中東では国境のみならず国家自体が溶解している」(防衛大の立山良司名誉教授)

 アラブ諸国が「合同軍」「軍事同盟」の結成へ動いたのは、そんな状況への危機感からだろう。だが、危機は他にもある。ISの時代錯誤的な思想宣伝、欧州の難民、ロシアのシリア介入に伴う東西新冷戦の恐れ。未曽有ともいえる複合危機だ。

 ペルシャ湾岸の石油を死活的利益としてきた米国ではシェールオイルの発見で中東の比重が軽くなったともいう。だが、今こそ米国は9・11以後の「テロとの戦争」の知識と経験、何よりも反省を生かし、幅広い連携を築いて指導力を発揮すべきだ。就任直後、「イスラムとの和解」をテーマに感動的な演説をしたオバマ大統領の本領を見せてほしい。

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