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岡崎 武志・評『未成年』『この素晴らしき世界!?』ほか

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女性裁判官の苦悩を精緻に描く

◆『未成年』イアン・マキューアン・著(新潮クレスト・ブックス/税抜き1900円)

 なにしろ、『アムステルダム』『贖罪(しよくざい)』の作家、イアン・マキューアンである。『未成年』(村松潔訳)は、信仰と医療をテーマにした新作だという。期待しない方が難しい。

 現代ロンドン。高等法院の女性裁判官フィオーナ・メイは、離婚をはじめ、もっぱら家庭問題を手がける。60歳を目前に、大学教師の夫が、恋人とセックスをすると宣言、大いに動揺する。そんな彼女に難題が降り掛かる。

 「エホバの証人」の両親を持つ白血病の少年アダムが、その信仰ゆえに輸血を拒む。一刻を争う案件を担当するヒロイン。家庭内は嵐、外は雨、胸の内には雪が降る。この短めの長編で、著者は少年を救う女裁判官の感涙小説などには仕立てない。「人生でなにひとつ危険にさらされたことのない女」の苦悩の劇を、目の詰まった布のように織り上げていく。

 二つのキスの谷間に、追いつめられていく女性裁判官。どこを取ってもありきたりでない。これは大人の小説なのだ。

◆『この素晴らしき世界!?』中野翠・著(毎日新聞出版/税抜き1250円)

  中野翠の本誌名物コラム1年分が『この素晴らしき世界!?』としてまとまった。昨年もいろんなことがあった。又吉直樹「火花」を文芸誌掲載時にいち早く取り上げ、川崎市の河川敷で惨殺された中1少年の「ヒマワリのような笑顔」を追悼する。また、型破りの「個性」で問題児扱いされた黒柳徹子を、受け入れ愛し大成させた日本人を「捨てたもんじゃないな」と評価する。各章扉に掲げられた自作句もいい。たとえば「あじさいの花の重みや手のひらに」。

◆『天下人の茶』伊東潤・著(文藝春秋/税抜き1500円)

 『巨鯨の海』など、構えの大きな歴史小説を手がける伊東潤が、千利休の死の謎に迫るのが『天下人(てんかびと)の茶(ちや)』。安土桃山文化を象徴する「茶の湯」。その頂点に君臨した利休と、庇護(ひご)者である天下人・秀吉。著者は、この巨人2人の相克と、その弟子たち4人が受け継ぐ戦いを、究極の美の世界において描く。牧村兵部(まきむらひようぶ)、瀬田掃部(せたかもん)、古田織部、細川忠興らが登場し、「静」と思える「茶」に潜む、武士たちに劣らぬ凄(すさ)まじい人間ドラマが繰り広げられる。

◆『神戸、書いてどうなるのか』安田謙一・著(ぴあ/税抜き1500円)

 タイトルが秀逸の『神戸、書いてどうなるのか』は、108本の文章で、神戸の今を伝える。著者の安田謙一は、神戸生まれで神戸在住の「ロック漫筆家」。食べて飲み、ぶらぶら歩き、読んで観て買って、その足どりは店や場所ガイドを超えて、その空気感まで伝わってくる。もちろん「そして、神戸」にも言及。何度聴いても神戸の絵が浮かばないという。そこがまたこの町なのである。第四章では「海文堂書店」など、失われた風景も語られている。

◆『給水塔』比留間幹・著(リトルモア/税抜き1800円)

 比留間幹『給水塔』が、なぜこんなにいいんだろう。本業の合間に、日本全国を給水塔めがけて旅し、写真に収めて生まれた写真集。多くは夕暮れ、夜間、曇り空。人影もない町なかに、突如その姿を現す無機質な巨大建造物。孤独に立ち尽くすその姿は、どこか、不器用に生きる中年男のように見えてくる。「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」という宮沢賢治の詩をふと思い出す。哀愁ここに極まれり。がんばれ、負けるな給水塔!

◆『いのちの樹』内藤順司・著(主婦の友社/税抜き3241円)

  カンボジアの伝統織物を復興させた森本喜久男と、織物に取り組むカンボジアの人々を追い続けた写真集『いのちの樹』。カメラマン・内藤順司は、内戦によって傷ついた心の再生という物語をも写し取る。寝転がる赤ちゃんの横で、幸せそうな表情で布を織る女性。母と子が一緒に仕事をすることで、安心して布に心が込められるのだそう。穏やかで幸せな心が織る布は、温かくてやさしい。母から子へ、手から手へ、技術が受け継がれていく。

◆『その時あの時の今』山田太一・著(河出文庫/税抜き780円)

 『その時あの時の今』は、脚本家人生50年の山田太一が、これまで自作ドラマについて書いた文章を集める。名作「岸辺のアルバム」に対して「徹底していない」と批判があったという。著者は反論する。「家族の崩壊を描いたドラマは、完全崩壊しなければドラマとして徹底しないのか?」ファンなら、山田ドラマがそこから始まっていることがわかっている。巻末に本編を補足する、この10年ほどの作品についての「語り下ろしインタビュー」あり。

◆『山人たちの賦』甲斐崎圭・著(ヤマケイ文庫/税抜き880円)

 甲斐崎圭『山人たちの賦』は「山暮らしに人生を賭けた男たちのドラマ」(副題)13話を収録する。「出たナ!」と羆(ひぐま)撃ち名人が山中で立ち止まる。恐怖と緊張で震える「私」。犬も低く唸(うな)り牙をむく。羆撃ちは一瞬で決まると言う。あるいは、浅草生まれで八百屋をしていた男が、いつか北八ヶ岳の山小屋で主(あるじ)になっていた。その波瀾(はらん)万丈の人生。イワナの養殖師、修験者、木地師……。山に生きる者たちの心に迫る名ルポルタージュの待望文庫化。

◆『古書奇譚』チャーリー・ラヴェット/著 最所篤子/訳(集英社文庫/税抜き1000円)

 古書はそのものがすでにミステリー。そう実感させられるのが、チャーリー・ラヴェット(最所篤子訳)の長編『古書奇譚』だ。1995年ウェールズの古書村ヘイ・オン・ワイで、古書商ピーターが手にした一冊の本こそ、奇書中の奇書。そこに挟まれた肖像画には、なぜか亡き妻が描かれ、しかも一世紀前のものだった。そして謎のサイン。果たして本物か、偽物か? 現代とヴィクトリア朝を行き来しながら、気弱な男の古書を巡る冒険が始まった。

◆『ヒトラーに抵抗した人々』對馬達雄・著(中公新書/税抜き880円)

 悪夢のようなヒトラー独裁下に、しかしヒトラーなきドイツを夢見て戦った実例があった。對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』は、命を懸けて運動し続けた者たちを克明に描く。ヒトラー暗殺を目論(もくろ)んだ隻眼隻腕の大佐を中心とした「7月20日事件」では、7000人が逮捕、200人が処刑された。公開裁判のもと、全員断罪の結果となる「白バラ」グループ。また、彼らと連携協力し、行動した無名市民たちもいた。その勇気に息をのむ思いだ。

◆『森と山と川でたどるドイツ史』池上俊一・著(岩波ジュニア新書/税抜き880円)

 ユダヤ人迫害もあれば、豊かな森、美しき川の風景を持つ国。『森と山と川でたどるドイツ史』で、池上俊一は風景の中に、民俗と歴史を読み込む。森と王国支配、そこから生まれた神話。宗教改革と山が持つ自然の魔力の関係。河川輸送がもたらした産業の発展。ドイツ・ロマン主義文学、絵画と自然の結びつき。それぞれの時代の政治・社会・経済・文化・宗教が、自然環境と密接に結びついて展開していることが、この一冊を読めばよくわかる。

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おかざき・たけし

 1957年生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。『上京する文學』をはじめ『読書の腕前』など著書多数

<サンデー毎日 2016年1月17日号より>

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