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<福島復興論>対談・母子避難と帰還を支える

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中村美紀さん 拡大
中村美紀さん

 原発事故で「自主避難」と言われている人の多くは福島県内に夫を残して避難した母と子だ。二重生活の上、支援も少ない中で悩みは深い。山形市で山形避難者母の会を設立し、現在は郡山市に戻っている中村美紀さん(40)と、NPO法人ビーンズふくしまで支援活動を続けている富田愛さん(46)が、避難や帰還をどう支えるかを話し合った。【聞き手・冠木雅夫専門編集委員、写真・藤原亜希】

古里捨てていない避難者 孤立する母親に「安心」を 山形避難者母の会代表・中村美紀さん

異なる選択、認め合って 再スタート、支援する場を NPO法人ビーンズふくしま みんなの家事業長・富田愛さん

−−中村さんは2011年8月に山形市に避難して、母の会を始めたそうですが。

富田愛さん 拡大
富田愛さん

 中村 最初は3人の小さな娘を連れての避難は考えていませんでしたが、迷った末に決断し夏休みに引っ越しました。山形市が運営する避難者の交流センターや支援団体を通じてお母さんたちと出会い、芋煮会などで仲間が増えました。福島の県会議員が山形に来るときに、(強制避難地域の)南相馬市小高区の方が「自主避難の人も発信しないと」と勧めてくれたのがきっかけで、団体の名前を考え、生活支援などについて福島県知事宛ての要望書を提出しました。

−−そのころ富田さんは郡山で活動を始めていた。

 富田 私は震災直後に宮崎県都城市の実家に避難し、1カ月ほど、以前に勤めていた保育所の仕事をして、有志の方の義援金を預かって郡山に戻りました。子育て支援をしているNPO「プチママン」を知り、義援金を届けて手伝いを申し出たんです。子どもの遊び場の移動サロンを約1年間していました。かなり多くの方が母子で避難していたので、支援しなければと考えていたところ、「ビーンズふくしま」が県の委託事業として県外避難者の支援員を募集していたので応募したわけです。

 そこでは、山形、新潟や関東地方に避難している方の訪問から始めました。福島の現状を伝え、話を聞いて回りました。中村さんと出会ったのは、私がこの仕事を始めたころです。

−−その後活動が広がった。

 中村 山形では、保育所入所や父親のための福島との無料バスなどが実現しましたが、大きいのは12年5月に「村山地区ふくしま子ども未来ひろば」を開設できたことです。そこに行けば福島の人に会える場です。山形の方は本当に親切でした。

 富田 避難先を回っている中で、いつかは福島に帰りたいけれど、福島で自主避難経験者の居場所があれば安心できるという話を聞きました。帰還した母親のための居場所作りをと考えたのが「ままカフェ」でした。その運営を進めていく中で、避難しなかったお母さんや震災後に出産したお母さんも不安を感じていることが分かりました。ままカフェに来ている方々の次のステップとしても常設の居場所が必要だと考え、15年3月に民間の助成で開設したのが「みんなの家@ふくしま」です。

−−郡山に戻ったのは?

 中村 避難者として非日常の中で生活することに少し疲れたこともありますし、大きかったのは4番目の子ができて、その子を福島で育てたかったからです。親として上の娘たちを一番安心させられるのは、私が福島で子どもを産んで育てて見せることだと思いました。戻ることに不安もありましたが、除染なども進んで避難当初よりはある程度放射線量も下がったし、食べ物の検査体制もずいぶん整った。福島に暮らす人の力で何とかなってきた部分が見えてきたので戻れると思いました。母の会では顔を出して発信する役目を引き受けていたこともあり、代表のまま福島に戻りました。

−−福島に戻ったお母さんたちはどんな思いでしょうか。

 富田 最初のうちは、誰もマスクをしていないことや、洗濯物を外に干していることが信じられない、浦島太郎のような気持ちの人が多いようです。生活の一つ一つに悩み、「気にしているのは私だけ?」と思ってしまう。でも、生活していくうちに、だんだん安心していく。ままカフェで、先に戻った人の経験を聞き、不安を感じるのは自分だけでないことを知ることも大きいようです。

 中村 避難先では福島から来た人が集まる場所があり、放射能を気にしている人たち同士で楽に話ができるんです。ところが福島に戻ってくると誰にも話せずに孤立してしまう。先に帰った人がそんな葛藤を乗り越えた経験を話してくれることが一番の安心材料になるんです。私たち家族にとっては日常を取り戻せた気がして、帰ってきて良かったことも多いです。一方でまだまだ帰れないと考える方も多く、帰還だけを良しとされているように感じて苦しんでいる避難者もいらっしゃいます。

−−母子避難の方々の悩みにどんな対応をしていますか。

 富田 自主避難をした方は、自分と家族だけで避難を決断しなければならなかった。本当に大変だったと思います。でも、時間がたつと、その選択が良かったのかどうか迷うことが多いんです。私は迷っている方にはいつも「あなたの選択は正しかったよ」と言っています。

 中村 自分たちで判断し乳飲み子を抱えて避難せざるをえなかった。そんな彼女たちに責任を負わせるのはおかしいと思います。福島に住んでいる人から「あなたの選択は正しかったんだよ」と言われて、やっと気持ちがほどけるんです。

−−最後に一言お願いします。

 中村 避難した方々は決して古里を捨てたのではなく、福島の本当の情報を知りたいだけなんです。私は、福島で安全のために誠実に積み上げてきた生産者の方たちの努力を伝えたいです。「中村は安全派に寝返った」と言われるかもしれませんが、それが不安を抱えて孤立している方たちの安心につながるのならぜひ伝えたい。

 富田 避難している方々、帰って来た方々、避難しなかった方々、それぞれの選択をこれからも大切にしていきたいし、お互いを認め合える場として「みんなの家」を続けていきたいと思います。悩みを一つ一つ共有しながら、また福島での生活を再スタートできるんだよということを、今も避難している方々に伝えたい。最後に、福島の子どもたちが将来、いわれなき偏見で傷つくことのないよう、福島だけの問題ではなく、全国の皆さんで考えてほしいです。


 ■ことば

山形避難者母の会

 原発事故で山形県内に避難してきた母親たちの自助組織。2011年10月に中村美紀さんを代表に発足。会員約200人。12年5月山形市内に避難母子の交流拠点「村山地区ふくしま子ども未来ひろば」開設。未就学児の一時預かりやピアノなど習い事支援、広報紙の発行などの事業を行う一方、福島県内に帰還した母子との交流プログラムを行っている。

「ビーンズふくしま」と「みんなの家」

 NPO法人「ビーンズふくしま」(若月ちよ理事長、本部・福島市)は不登校、ひきこもりなどの子や若者支援のため1999年発足。震災後は仮設住宅の子の学習支援や県外避難者支援、帰還した母親の居場所「ままカフェ」(県内5カ所)運営も加わる。2015年3月さまざまな世代が悩みを語り合い交流する場「みんなの家@ふくしま」を同市笹谷に開設。


 ■人物略歴

なかむら・みき

 1975年福島市生まれ。栄養士の資格を取り、夫の仕事で郡山市に。2007年2月自宅で料理教室開設。11年8月に8歳から1歳半の3人の娘とともに山形市に避難し山形避難者母の会を設立。14年3月郡山市の自宅に戻り、5月長男出産。


 ■人物略歴

とみた・めぐみ

 1969年宮崎県都城市生まれ。同市の保育所で主任保育士として勤務後、夫の転勤で2009年に郡山市に。震災後、郡山市のNPOで活動後、12年からビーンズふくしまで県外避難者や帰還した母子を支援。15年「みんなの家@ふくしま」開設。

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