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《Jr.バタフライ》 「国籍」「民族」「宗教」を超えて 愛の本質に迫る

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写真:山本倫子
写真:山本倫子

三枝成彰:オペラ《Jr.バタフライ》イタリア語版(日本語字幕付き)

 イタリアの作曲家プッチーニの名作オペラ《蝶々夫人》。その物語の続きを描いた《Jr.バタフライ》(台本:島田雅彦、作曲:三枝成彰)のイタリア語版が、1月27日、Bunkamuraオーチャードホールで上演された。

 2004年に東京で日本語版を初演。それがイタリアのプッチーニ音楽祭でも上演されて、好評を博した。その後、歌詞をイタリア語に翻訳し、主な配役にイタリア人歌手を当て、2014年の同音楽祭で演奏された。今回は、それが日本に逆輸入された格好だ。

 客席を埋めた人々は、各界の著名人や音楽関係者、オペラファンに加え、「オペラを見るのは初めて」という人もいて、三枝さんの交際の広さとファン層の厚さ、多様さを伺わせた。カーテンコールで三枝さんが島田さんと共に登場した際には、一段と大きな拍手が送られた。

写真:山本倫子
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 《蝶々夫人》は、長崎の港が見える丘の上の家を舞台にした、没落した武家の娘蝶々さんの悲恋物語。一途に待ち続けた米海軍士官ピンカートンの裏切りを知った蝶々さんは、2人の間に生まれた男の子を、彼とその本妻に託し、自ら命を絶って終わる。

 《Jr.バタフライ》は、その男の子ジュニア・バタフライ(JB、ジャンルーカ・パゾリーニ)が、アメリカで成長し、米戦時情報局のスタッフとして日本に赴任している、との設定だ。時あたかも、日中戦争のさなか。JBの心は、アメリカと母の祖国日本への思いとの間で揺れる。それでも、日本人女性ナオミ(ロッサーナ・カルディア)との愛を選び、困難な環境でも思いを貫く。その愛の真実が、戦争の不条理を一層際立たせる。

写真:山本倫子
写真:山本倫子

 一幕一場の《蝶々夫人》の最後の場面を彷彿(ほうふつ)とさせる音楽は、その後自在に展開し、二人の愛に満ちたデュエット、悲しみを湛(たた)えた美しい間奏曲などを経て、オーケストラによって表現される不安と恐怖、原爆の破壊力が、聞き手を圧倒する。歌詞も濃密だ。「『国家』『民族』……それは宗教のようなもの」「暗澹(あんたん)とした平和より、爽快なるかな戦争は」「国家のために死ぬことが名誉なことだろうか」など、ぎくりとするフレーズが次々に繰り出され、戦争とは、国家とは、民族とは何なのかを聴衆に問いかける。

写真:山本倫子
写真:山本倫子

 最後の場面は、音楽も歌詞も実に密度が濃い。原爆が投下された長崎で、平和主義者の無力感を味わうJBに、愛するナオミの死が追い打ちをかける。その後を追おうとするJBの仕草に、《蝶々夫人》の悲劇が一瞬蘇(よみがえ)る。だが彼は、一人息子の姿に、自死を思いとどまる。そこへ、合唱が「永遠に続く厄災はないのだから」と歌い、JBと聞き手の心に希望と勇気の種をまいて、幕を閉じる。

 イタリア語は音楽界、とりわけオペラの世界でのいわば国際語。争いの元になり、人々の心を縛ることもある「国籍」「民族」「宗教」を超え、「個人」と「個人」の愛の本質に迫ろうとする本作品は、イタリア語の歌詞を得て、日本という「国」から解放されたとも言えるだろう。

 パリのテロ事件、シリア内戦と難民問題、サウジアラビアとイランの対立、さらには北朝鮮による「水爆」実験など、再び戦争の惨禍が拡大していくのでは……との不安の中で迎えた2016年という年に、実に示唆的な公演にもなった。

 指揮者の三ツ橋敬子による、スケールの大きい、ドラマチックで繊細な音楽作りが、聴衆に一層の感銘を与えていた。

(ジャーナリスト・江川 紹子)

写真:山本倫子
写真:山本倫子

主なスタッフ・キャスト

【三枝成彰:オペラ《Jr.バタフライ》イタリア語版(日本語字幕付き)】

1月23日(土)14:00 富山県民会館

1月27日(水)19:00 Bunkamura オーチャードホール

作曲:三枝 成彰

台本:島田 雅彦

イタリア語翻訳:エルマーノ・アリエンティ

イタリア語歌詞監修:森島 英子

指揮:三ツ橋敬子

演出:布施 実

照明:辻井 太郎

プロダクションマネジャー:小栗 哲家

Jr.バタフライ(テノール):ジャンルーカ・パゾリーニ

ナオミ(ソプラノ):ロッサーナ・カルディア

スズキ(メゾ・ソプラノ):桜井万祐子

野田少佐(ナオミの兄、バリトン):エウゲネ・ヴィラヌエーヴァ

詩人(バリトン):ヴェイオ・トルチリアーニ

尼僧(ソプラノ):ヴァレンティーナ・ボイ

マッカラム、レバイン(2役、バリトン):アントニオ・ヴィンチェンツォ・セッラ

バートン、記者(2役、バリトン):ペドロ・カリッロ

合唱:六本木男声合唱団

エレクトーン:清水のりこ

管弦楽:シアター オーケストラ トーキョー

筆者プロフィル

 江川 紹子(えがわ・しょうこ)神奈川新聞社会部記者を経てフリーライターに転身。その後、オウム真理教による一連の凶悪事件などの取材・報道を通じて社会派ジャーナリストとして注目を集める。新聞、週刊誌の連載やテレビの報道・情報番組のコメンテーターとして活躍。近年、クラシック音楽やオペラの取材、アーティストのインタビューなどにも取り組んでいる。

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