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岡崎 武志・評『江戸の糞尿学』『ヒラリー』ほか

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これぞ循環型社会の原型

◆『江戸の糞尿学』永井義男・著(作品社/税抜き2400円)

  あのう、いま食事中の方は遠慮していただいた方がいいかも。なにしろ、永井義男『江戸の糞尿学』は、全編が大便、小便、便所まみれによる学究の書。これがなんとも痛快で読ませる。

 日本人と糞尿(ふんによう)の関係は世界に類を見ないほど独自の進化と文化を持っていた。たとえば16世紀のパリやロンドンは、窓から排泄(はいせつ)物を捨て路上は汚物まみれ。しかるに江戸では、糞尿の再利用(下肥(しもごえ))により、たとえば長屋の大家は収入を得ていた。トレビアン!

 また便所は、排泄の他に、陰間(かげま)の事前準備や遊女の事後処理に使われ、下男下女が忍び逢(あ)う密会の場でもあった。またそれを覗(のぞ)く者がいたと、収録された図像で判明する。これぞまさしく「臭い仲」と著者はおどける。

 引用する文献は多種多様に富み、馬琴から春画、狂句と、日本の文芸や美術も糞まみれであったことがわかる。いや、わかったって得にはならないけど。「こえとりは いつもあいにく 飯じぶん」は『柳多留(やなぎだる)』より。

◆『ヒラリー』岸本裕紀子・著(PHP研究所/税抜き1400円)

 2017年1月には、新しいアメリカ大統領が就任。岸本裕紀子が、女性大統領に一番近い『ヒラリー』の真実を伝える。その生い立ちから、ファーストレディー時代、そして08年の大統領選敗因、政治信条、ファッションなど、余すことない。クリントン政権下の「ジャパン・バッシング」が記憶にあり、対日関係が気になるところだが、その点もフォロー。好き嫌いがついて回るヒラリーを「すごく面白い」と擁護する著者ならではの好著だ。

◆『天才を作る親たちのルール』吉井妙子・著(文藝春秋/税抜き1400円)

 野球の大谷翔平、サッカーの宇佐美貴史、卓球の石川佳純……いずれも、記録も過去の常識も打ち破る飛び抜けたトップアスリートたち。吉井妙子『天才を作る親たちのルール』で、いかにして天才を作り上げたか、その秘密を親に聞く。体操の白井健三は両親ともに体育教師。のち体操クラブを開校。基本は「放任主義」だが、「都度の目配せ、声掛けは巧み」。陸上の桐生祥秀は、「普通であり続ける」ことこそが大切、と教わった。親もまた天才だ。

 ◆『踊り子と将棋指し』坂上琴・著(講談社/税抜き1300円)

 昨年、小説現代長編新人賞を『踊り子と将棋指し』で受賞した坂上琴は、もと毎日新聞社の記者。アルコール依存症で断酒治療を受け、退社後、本作でデビューした。飲み過ぎで記憶を失った男が、30代のストリッパー聖良に拾われる。「三ちゃん」と呼ばれ、主夫兼マネジャーとして、大阪天満(てんま)、南紀白浜と巡業の珍道中が始まった。ところがこの男、大金が動く将棋に手を出し将棋指しに。じつは、この男こそ……哀しくもおかしい小説の「新世界」。

◆『私の日本地図』宮本常一・著(未來社/税抜き2400円)

 「私にとって旅は発見であった。私自身の発見であり、日本の発見であった」と書くのが宮本常一。カメラ片手に日本国中を足で調査した。その集成が『私の日本地図』全15巻。第1巻である本書は「天竜川に沿って」と題され、遠州平野から水源の諏訪湖まで、川筋をたどって旅をする。著者の手による写真が多数収録されていて、昭和30年代の街道、村や町の様子が見てとれる。草葺(くさぶき)に庇(ひさし)瓦を乗せた民家など、いまや貴重。これが日本だ、我らの国だ。

◆『万葉びとの暮らしと生きざま』渡辺康則・著(大空出版/税抜き1400円)

 わが国最古の歌集である『万葉集』。高尚な歴史書と思いがちだが、渡辺康則は『万葉びとの暮らしと生きざま』の中で、「下世話な歌」もあったという意外な一面を見せてくれる。究極の愛の証として自分の下着を男性に贈った女性。しかし男性の愛が冷めたのか、送り返されてくる。自分の使用済み下着を再び手にした女性の気持ちは……と考えてしまうが、歌のネタにするくらいだから、女性の方はしたたかだったのかもと分析。“生きざま”に興味津々。

◆『ハピネス』桐野夏生・著(光文社文庫/税抜き720円)

 桐野夏生『ハピネス』は人気女性誌『VERY』に連載された。東京湾岸地区の高層高級マンションに3歳の娘・花奈と暮らす有紗は「花奈ママ」と呼ばれる。幼稚園入園目前で、同じマンションに住むママ友たちとのつき合いに明け暮れる日々。一見平凡で幸せそう。しかし、海外出張中の夫からは離婚を突きつけられ、自分の過去にもある秘密があった。しがらみに満ちた息の詰まるつき合いや、隠された悪意や空虚をみごとに描き出す長編小説。

◆『百済観音の正体』関裕二・著(角川ソフィア文庫/税抜き880円)

 奈良・法隆寺が所蔵する飛鳥時代の仏像「百済(くだら)観音」は国宝に指定されている名高い逸品である。関裕二は、この8等身の優美な仏像の出自を『百済観音の正体』で探る。「百済」(朝鮮)という命名の謎、法隆寺との関係の向こうに、豪族・物部(もののべ)氏の存在を突き止める。そこから見えてくる古代の陰謀、そして7世紀前半の東アジア情勢と外交、藤原氏との意外な関係と、この分野の第一人者らしく、ミステリーのごとく読者の関心を最後まで引っぱる。

◆『姜尚中と読む 夏目漱石』姜尚中・著(岩波ジュニア新書/税抜き800円)

 今年は漱石没後100年。漱石がかつて在住した熊本を故郷とし、東京では同じ眼科に通ったという姜尚中。『姜尚中と読む 夏目漱石』で体験からきた漱石文学の読み方を、若い読者に伝授する。苦しいだけのイギリス留学を経て、『吾輩は猫である』を書くことで精神のバランスを取った。その定説の向こうに、「ブラックで鋭い一面」を著者は見いだす。あるいは「鼻毛を抜く漱石と抜かない鴎外」の悲観論など、新しい発見が随所にある。

◆『家族幻想』杉山春・著(ちくま新書/税抜き800円)

 『家族幻想』の著者・杉山春は、困難家庭に育つ青年たちの支援にも携わり、『ルポ 虐待』などの著作がある。「ひきこもり」の数、およそ70万人、しかも高齢化する中、彼らを縛るのは、「内面化する価値観」であり、その価値観は主に家族が作り上げる。自らの生きる意義を見いだせず、羞恥心と屈辱にまみれ閉じこもる者たち。その絶望に立ちはだかるのが「家族の絆」という神話であると、著者は主張する。ここに収録された生の声はいずれも悲痛だ。

◆『日本はなぜ脱原発できないのか』小森敦司・著(平凡社新書/税抜き800円)

 3・11で安全神話が消え、事故処理が収束しないまま、再稼働を推し進めようとする安倍内閣。事故直後から取材を続けてきた小森敦司が、『日本はなぜ脱原発できないのか』で、原発問題を総括する。電力会社ばかりか、政財界や官僚、学者やメディアまでを巻き込む「原子力村」。利権や思惑がからみ巨大化したこの実態こそが、事故を起こした一因だった。電源三法、地方の原発依存、廃炉後の課題など、もう後戻りはできないのかと、背筋が寒くなる。

※3カ月以内に発行された新刊本を扱っています

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おかざき・たけし

 1957年生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。『上京する文學』をはじめ『読書の腕前』など著書多数

<サンデー毎日 2016年3月13日号より>

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