震災5年

聞きたい「じいじ」 守れなかった孫娘よ

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鈴木堅一さんの仮設住宅の玄関先に掛けられた理子さんの遺品のランドセル。出入りするとき「じいじは頑張るよ」などと語り掛ける=岩手県釜石市栗林町で、中田博維撮影
鈴木堅一さんの仮設住宅の玄関先に掛けられた理子さんの遺品のランドセル。出入りするとき「じいじは頑張るよ」などと語り掛ける=岩手県釜石市栗林町で、中田博維撮影

 東日本大震災から11日で5年。大切な人を失った「あの日」。同じ思いを繰り返したくないと、津波や地震の研究を目指す大学生。子どもたちに励まされ起業した父。仮設住宅で1人暮らしの祖父は今も後悔が消えない。大切な人への思いを胸に、それぞれの5年を迎える。

 岩手県釜石市の市消防団副団長の鈴木堅一さん(72)は東日本大震災の津波で、息子家族3人と妻の計4人を一度に失った。今月末には50年近く活動してきた消防団から退く。多くの現場で活躍してきたが、5年前のことを「悲しいというより悔しい。もし自分が消防団に入っていなかったら、と思うこともある」と、1人で暮らす仮設住宅で自問自答している。

 鈴木さんは、同市鵜住居(うのすまい)町の自宅で強い揺れを感じた。場所は津波で200人以上が犠牲になったとされる鵜住居地区防災センターのすぐ近くだった。異変があればすぐ現場に駆けつけていた鈴木さんは、この日も「消防さ行ってくる」と言い残し家を出た。消防職員で救急救命士だった長男の健幸さん(当時44歳)は非番で在宅していたが、孫の理子さん(同11歳)を「迎えに行く」と飛び出した。「その後で職場に行く…

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