マナスル登山許可

取得に道、西堀氏 苦労など書簡50通

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マナスル登山の許可取得を巡る経緯を生々しくつづった西堀書簡。京都の今西錦司にあてたものや、ネパール政府要人とのやりとりもある(京都大学学士山岳会所蔵)=2016年4月11日午後3時31分、榊原雅晴撮影
マナスル登山の許可取得を巡る経緯を生々しくつづった西堀書簡。京都の今西錦司にあてたものや、ネパール政府要人とのやりとりもある(京都大学学士山岳会所蔵)=2016年4月11日午後3時31分、榊原雅晴撮影

「ザ・マナスル・デー」で初めて展示

 マナスルの登山許可を得るため1951年末から52年3月にかけインド、ネパールを訪れ、政府要人らと交渉を重ねた西堀栄三郎(1903〜89年)が、盟友の今西錦司(02〜92年)に送った報告など約50通計350ページの書簡が8日、東京都千代田区の学術総合センター・一橋講堂で開かれる「ザ・マナスル・デー」(毎日新聞社主催、日本山岳会・京都大学士山岳会特別後援)で初めて展示される。第二次大戦後の複雑な国際情勢を背景に、国交を結ぶ前のネパールとの困難な交渉の模様をビビッドに伝える資料だ。

 京大OBを中心にマナスル登山を模索していた今西らは、52年1月に開催されるインド科学会議に木原均・京大教授(遺伝学)らが招待されることを知り、化学者でもある西堀を同行させた。正式な日本代表ではなく、しかも急な派遣のため外貨が用意できず、一文無しでカルカッタ(現コルカタ)に到着するという綱渡りだった。

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