別役が育った旧満州(現中国東北部)で使われていた日本語は「一番平均的な標準語」。敗戦で日本列島に引き揚げた別役は故郷を失い、残ったのは無味乾燥な言葉だけだった。劇団自由舞台の先輩である秋浜悟史や同年代の清水邦夫らの劇作家は地域性豊かなせりふを駆使したが、別役はそうした土着の言葉を持たなかった。
デビュー時、重鎮の劇作家、田中千禾夫(ちかお)から「別役の舞台は無調音で、調べがない」と指摘された。だが、登場人物の背景から意味を消し去る不条理劇には、むしろ無味乾燥な言語がはまった。
時代も味方する。「1960年代から80年ごろにかけて、言葉はどんどん日常用語になっていった。自分の内部から言葉を紡ぎ出す必要はなくなり、その辺にある用語を当てはめればよくなった」と振り返る。高度経済成長下では、言語も統一化され、無駄な装飾を省いたせりふが受け入れられた。だが、その後、地域に根ざした言葉が見直される。東京のテレビ番組で関西弁が流れるようになった。こうした時代の変化を敏感に感じていた…
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