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鬼平を歩く

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江戸・東京今昔/36 二本榎と望楼 高輪 高台にそびえ目印に /東京

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高輪消防署二本榎出張所の望楼で「昔は24時間体制でここから町の安全を見守っていました」と語る渡辺所長
高輪消防署二本榎出張所の望楼で「昔は24時間体制でここから町の安全を見守っていました」と語る渡辺所長

 江戸時代、江戸から諸国に通じる街道には、日本橋を起点に一里(約4キロ)ごとに道の両側に塚が築かれ、エノキが植えられていた。一里塚と呼ばれ、旅人にとってどのあたりを歩いているかの目安となった。

 なぜエノキか? 徳川家康が全国規模の一里塚整備を命じた1604年2月4日のエピソードが、幕府の公式記録「徳川実紀」に記されている。一里塚計画の責任者、大久保石見守長安がどんな木を植えればよいかを家康に尋ねた。家康の返答は「よ(良)い木を用いよ」。大久保は「よい木」をエノキと聞き違えた。

 忠臣蔵の四十七士の墓がある泉岳寺(港区高輪)西側の高台一帯は江戸時代、二本榎(えのき)と呼ばれた。高台の尾根に旧東海道が通じ、2本の大きなエノキがあったことが地名の由来。江戸中期の地誌に「往古の一里塚」とある。現在の二本榎通りが旧東海道にあたる。

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