SUNDAY LIBRARY

岡崎 武志・評『須賀敦子の手紙』『プレイガイドジャーナルへの道』ほか

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷

◆『須賀敦子の手紙 1975−1997年 友人への55通』須賀敦子・著(つるとはな/税抜き2850円)

 たった10年の執筆活動(翻訳を除く)で、全8巻の全集と、深い印象を友人と読者に遺したのが須賀敦子。亡くなる直前まで、一組の夫妻に書簡を書き続けていた。その数55通。

 『須賀敦子の手紙』は、封筒・絵葉書の宛名面から本文すべてをカラー写真に撮り、再現した異色の書簡集だ。宛名の名はアメリカ人男性ジョエルに嫁ぎ、後年はハワイで暮した画家スマ・コーン。須賀とスマは日本で知り合い、やがて離れ、書簡で友情を育んだ。

 そこには「ひとり暮らしの寂寥、みのらない恋、文章を書いて発表するよろこびと不安」(帯文)そして、闘病が綴(つづ)られていた。妹の北村良子は「あんなに素直に、自分の思いをそのまま伝えているのは、ほんとうにめずらしいこと」だと書いている。

 「キリがないから、さようなら 四月二十一日 敦子」と、がんと闘う病院からの、これが最後の手紙の最後の言葉となった。1998年3月20日帰天。享年69。

◆『プレイガイドジャーナルへの道1968〜1973』村元武・著(東方出版/税抜き1600円)

 70年代に青春を送った若者なら、誰もが手にした情報誌があった。『プレイガイドジャーナル』は1971年に創刊した、『ぴあ』に先行する日本初の情報誌。100円で大きさはB6と、値段も判型も中身も斬新であった。

 『プレイガイドジャーナルへの道1968〜1973』は、慢性的赤字を抱えつつ出し続けた発行者・村元武が、あの時代を回顧する。70年代、演劇、映画、演芸、音楽と、大阪から風が吹いていた。その中心が「プガジャ」だ。

 単に情報を流すだけではない。各種コンサートや演劇の公演、自主映画の上映など、「プガジャ」は運動体の拠点としても機能していた。いしいひさいち「バイトくん」、井筒和幸「ガキ帝国」と、新しい才能も次々と発掘した。

 『フォークリポート』わいせつ裁判、「大阪労音」fの活動と崩壊など、これまで語られることの少なかった大阪文化の裏面も、当事者により明らかにされる。続編も鋭意執筆中。乞うご期待!

◆『わたしの〈平和と戦争〉』広岩近広・著(集英社/税抜き1600円)

 広岩近広編『わたしの〈平和と戦争〉』は、64人の各界著名人が、非戦の思いを語るインタビュー集。「日本が平和でこられたのは、九条のおかげ(中略)。このことはとてもすごいこと」と瀬戸内寂聴。本土迎撃決戦が叫ばれる時、自決用の火薬を渡されたと証言するのは、広島県出身の新藤兼人。慰問の前線で特攻兵士を見送った森光子は、「あなたたちの手で、あなたたちの純粋な心で、この平和をずっと守り続けてください」とメッセージする。選挙権を得た若い世代に読んでほしい。

◆『父の生きる』伊藤比呂美・著(光文社文庫/税抜き560円)

 詩人の伊藤比呂美は、先立った母の後、熊本で一人暮らしする父に寄り添い、死まで見送った。しかも、在住するカリフォルニアからの頻繁な往復による超遠距離介護であった。『父の生きる』は、東日本大震災を挟み、老人となった80代の父と向き合うドキュメント。「退屈で退屈でしょうがねえよ、まったく」と不機嫌な父。下痢と転倒もある。忙しい娘は「すさまじい往き来」をし、相手をするのだ。むかつく時は「お経より漫画」という著者に、お涙頂戴を排した真実がある。

◆『兵隊になった沢村栄治』山際康之・著(ちくま新書/税抜き880円)

 足を高く上げ、豪快に速球を投げ込み、プロ野球新人投手賞にその名を残すのが沢村栄治。山際康之『兵隊になった沢村栄治』は、3度も召集され、27歳で戦火に散った名投手の物語だ。速球投手に目をつけられ、戦地では手榴弾(しゆりゆうだん)投げを命じられ肩を痛めた。復帰後からは、あの豪快なフォームは消えた。著者は、戦時下における職業野球連盟の工作にも着目。戦争協力を「偽装」しつつ、野球界と選手たちを守ったのだ。平和がいかに大事であるかが、野球人を描くことで伝わってくる。

−−−−−

岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』など

<サンデー毎日 2016年7月17日号より>

あわせて読みたい

注目の特集