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毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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「いい目をしとるな。がんばれよ」。後に横綱、千代の富士となる…

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 「いい目をしとるな。がんばれよ」。後に横綱、千代の富士となる秋元貢(あきもと・みつぐ)少年に声をかけたのは当時小結の貴ノ花だった。大相撲にスカウトされながら、相撲に魅力を感じなかった少年が「なんて格好いいのか」と目を見張った出会いだった▲「飛行機に乗れるぞ」の誘いにひかれて上京、ウルフとあだ名のついた少年はすんなり出世したのではない。肩の脱臼(だっきゅう)とともに昇進と陥落とをくり返した。そのたびに思い出して励みとしたのは、同じ小兵(こひょう)ながら大関で活躍する貴ノ花の「いい目をしとるな」だった▲その貴ノ花がひそかに引退を決意したのは1980年九州場所、初土俵から10年の千代の富士に敗れた一番がきっかけといわれる。「千代の富士が伸びてきたから、安心してやめられる」。そういわれた「元少年」の発奮がただならぬものだったのはいうまでもない▲翌年、北の湖を優勝決定戦で破った初優勝に始まるわずか1年で関脇から大関、横綱へと昇進を果たした千代の富士だった。以後、鍛え抜いた筋肉から繰り出す速攻や豪快な投げで巨体を制する「小さな大横綱」の土俵は、昭和が終わる時代の記憶に焼き付けられた▲「やめる時はスパッとやめような」とは横綱昇進の時の師匠の教えという。この言葉を胸に秘めた59場所に及ぶ横綱在位なしに、大相撲人気は次代に引き継がれたろうか。91年に引退表明したのは貴ノ花の子、貴花田(後の貴乃花)との初対戦で敗れた2日後だった▲その約10年にわたって大相撲の屋台骨を支え続けた九重(ここのえ)親方が亡くなった。一身をもって昭和の相撲人気を平成にリレーした大横綱の早すぎる訃報(ふほう)が悲しい。

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