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<記者の目>「鬼平を歩く」を連載して=小松健一(東京編集局)
不寛容な今、「情」に共感
作家、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」が「オール読物」(文芸春秋)でデビューして、来年で半世紀になる。連載が作者の死去に伴い1990年、135作品で終了した後も人気は衰えない。単行本・文庫本の累計発行部数は2700万部。中村吉右衛門さん主演のテレビドラマは今年12月の放映で最終回(150作目)を迎えるが、実に27年間も続いている。来年からはアニメ版のテレビシリーズが始まる。
主人公の火付盗賊改方長官、長谷川平蔵(1746〜95年)は実在した旗本である。私は鬼平犯科帳の世界を古地図に重ね合わせて東京の街を歩き、昨年7月から今年8月まで本紙東京版で「鬼平を歩く」という連載を書いた。史料や文献に登場する平蔵、土地の歴史を加えて、鬼平と江戸をリアルに体感する試みだった。
無宿人を集め、社会復帰支援
思わぬ所に平蔵の実像を知る痕跡がある。府中刑務所(東京都府中市)。ルーツは1790年、石川島(中央区佃)に建設された人足寄場だ。当時、地方から江戸に来たものの、身元がはっきりしないため定職につけない無宿人が多く、放火や盗みを働く者が後を絶たなかった。無宿人を収容して職業訓練を行う目的で設置されたのが人足寄場で、建設と運営にあたったのが火盗改方長官の平蔵だった。
人足寄場は明治になって監獄となり1895年まで石川島に存続。府中に移った。平蔵が収容者の健康を祈って勧請した寄場稲荷は、府中刑務所の隣接地に鎮座している。
罪を犯せば罰し、更生させる考えがなかった時代。予防拘禁的な側面もあったが人足寄場は画期的な施設だった。社会復帰を支援する情け深い平蔵というイメージが生まれる。鬼平犯科帳が世に出る前に発表された、山本周五郎の時代小説「さぶ」も、「寄場は牢(ろう)ではない、人足を罪人扱いしてはならない」との平蔵の運営方針が引き継がれた人足寄場が舞台だ。
平蔵が活躍した1787〜93年に平蔵ら幕臣の風評、江戸の出来事を書き記した「よしの冊子」は面白い。「随筆百花苑」(中央公論社)第8、9巻に収録されている。
捕らえた盗賊の身なりが粗末だったので、平蔵は着物を買い与えて連行したこと。どうせ捕まるのなら町奉行所よりは慈悲深い平蔵のお縄にかかりたいと盗賊が自首したこと。市中見回りの途中、派手な夫婦げんかに遭遇した平蔵が仲直りさせたこと……。当時の人々のうわさ話だが、浮かび上がるのは、思いやりがあり、下情に通じた平蔵のイメージである。部下を驚かすちゃめっ気もあった。
近隣住民にコメや現金を施して慕われていた剣術家を怪しいとにらみ、捕らえると盗賊の首領だったという神業的な勘働きも平蔵は発揮している。
「怖くて、やさしくて、おもいやりがあって、あたたかくて……そして、やはり、怖いお人だよ」(鬼平犯科帳「用心棒」)という小説の平蔵は、史料や文献を手繰ると相当にリアルである。
実は、一般になじみのなかった長谷川平蔵が小説で取り上げられたことで、専門家による平蔵研究が進んだ。未刊行だったよしの冊子も鬼平犯科帳の連載が後半に入った1980〜81年に世に出ている。後に明らかになった平蔵の人物像が、小説を後追いしていることに驚いている。
鬼平犯科帳は、池波正太郎の人間への鋭い観察眼をもとに、時代劇にありがちだった勧善懲悪を排して、人の世は善と悪で単純に色分けできないことが底流にある。小説で平蔵のこんなセリフがある。
「人間とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする」(「明神の次郎吉」)
善悪二元論排し、人間性問いかけ
今は地球規模で不寛容な時代だ。国家、宗教、民族、価値観が相互にいがみ合い、善と悪のレッテル貼りをしている。どこもかしこも極端な声が幅をきかせている。世の中の仕組みは変わっても人の世に大切なものは変わらない。この1年1カ月の連載中に強く感じたことである。
私は鬼平ゆかりの地を巡る散歩ツアーも行っている。参加者が鬼平にひかれるところはさまざまだが、共通しているのは「現代は人情蔑視の時代であるから、人間という生きものは情智ともにそなわってこそ〔人〕となるべきことを忘れかけている」(「血頭の丹兵衛」)時代認識。鬼平が読み継がれるのは、半世紀たっても突きつけるものがあるからだろう。