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あの感動の調べをもう一度。注目公演の模様を鑑賞の達人がライブ感たっぷりに再現します。

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質実剛健ヤノフスキの「神々の黄昏」 バイロイト音楽祭2016リポート(下)

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「神々の黄昏」第3幕 ニューヨーク証券取引所に舞台設定を変えたラストシーン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「神々の黄昏」第3幕 ニューヨーク証券取引所に舞台設定を変えたラストシーン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 バイロイト音楽祭2016のリポート最終回は再演演目であるフランク・カストロフ演出による「ニーベルングの指環」から「神々の黄昏」と、ヤン・フィリップ・グローガー演出の「さまよえるオランダ人」のステージについて報告します。

 

【バイロイト音楽祭2016「ニーベルングの指環」再演~楽劇「神々の黄昏」】

 2013年から上演されているフランク・カストロフ演出による「ニーベルングの指環(リング)」。プレミエから3年間、キリル・ペトレンコが指揮を務め大きな注目を集めてきた。ワーグナーの楽劇のキーポイントとなるライトモティーフ(示導動機)を室内楽のように明快に浮かび上がらせる一方で、力強い響きを構築し緩急、強弱を巧みに変化させながら大きな高揚を作っていくペトレンコによる音楽は各方面から高い評価を集め、他の演目も含めてどの出演者よりも大きな喝采を浴びていた。ここでの大成功が彼をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期芸術監督兼首席指揮者に押し上げるジャンピングボードとなったことは現地の多くの音楽関係者が認めるところである。

2014年、「ラインの黄金」を指揮するヤノフスキ=写真提供:東京・春・音楽祭(C)青柳聡
2014年、「ラインの黄金」を指揮するヤノフスキ=写真提供:東京・春・音楽祭(C)青柳聡

 そんなペトレンコに代わって今年、「リング」の指揮を担当したのは「東京・春・音楽祭(東京春祭)ワーグナー・シリーズ」などで日本の音楽ファンにもなじみの深いマレク・ヤノフスキである。ヤノフスキといえば、折しも東京春祭で「リング・ツィクルス」に取り組んでいる最中。今年4月にはNHK交響楽団を指揮して「ジークフリート」を演奏会形式で上演し、ぜい肉をそぎ落とした骨太の響きとキビキビしたテンポ設定で見事な演奏を披露したことも記憶に新しい。その一方で過激な読み替え演出を嫌って「今後、フル・ステージのオペラは振りたくない」との趣旨の発言が伝えられるなどしたことから〝読み替え演出の本場〟であるバイロイトで果たしてその本領を発揮できるのか、懸念する向きもあった。

「神々の黄昏」序幕 3人のノルン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「神々の黄昏」序幕 3人のノルン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 そこで、筆者はこれまでもカストロフの「リング」を鑑賞していることもあり、今年は演出面はさておいてヤノフスキの音楽にスポットを当てるために「神々の黄昏」のみ単独上演された8月16日の公演を取材した。

「神々の黄昏」序幕 ブリュンヒルデとジークフリート ラインへの旅立ちの前=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「神々の黄昏」序幕 ブリュンヒルデとジークフリート ラインへの旅立ちの前=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 結論からいうと〝懸念〟は杞憂(きゆう)に終わった。ヤノフスキは東京春祭の時と同様に過剰な表現を一切排した質実剛健な音楽作りで自らのスタイルを貫く一方で、ステージ上の歌手の呼吸や動きにも配慮した柔軟なアプローチで、この大作を巧みにまとめ上げて公演を成功に導いていたからだ。ペトレンコとはまたひと味違うバランスを重視した響きの構築の仕方もウルサ型の多いバイロイトの観客・聴衆に好感を持って受け入れられたようで、カーテンコールでは盛大な喝采を浴びていた。さすが、経験豊富なベテランである。ヤノフスキは来年もバイロイトで「リング」の指揮を担当することが決まっている。

「神々の黄昏」第3幕 ジークフリート(前)とハーゲン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath 拡大
「神々の黄昏」第3幕 ジークフリート(前)とハーゲン=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 さらに来年春の東京春祭では「神々の黄昏」を、今年10月にはウィーン国立歌劇場の日本公演に同行し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を指揮する予定で、ファンの期待も膨らみそうだ。

「神々の黄昏」第2幕 ギービヒ家=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「神々の黄昏」第2幕 ギービヒ家=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 話を「神々の黄昏」に戻そう。主要なキャストはキャスリーン・フォスター(ブリュンヒルデ)、シュテファン・ヴィンケ(ジークフリート)、シュテファン・ミーリンク(ハーゲン)、アルベルト・ドーメン(アルベリヒ)ら。特筆すべきは物語の中から飛び出してきたかのようなリアリティあふれるハーゲンを熱演したミーリンク。身長190センチを超える巨体といかつい風貌。外見だけではなくすごみすら感じさせる歌唱と演技で、この作品の〝裏の主役〟ともいわれるハーゲンのキャラクターを鮮烈に描きだしてみせた。後日、ミーリンクと話す機会があり筆者の感想を伝えるとハーゲンの時とは打って変わって柔らかい笑みを浮かべて「ありがとう。私にとってハーゲンは大切な役のひとつだよ」と語り、大きな手で握手を求めてきた。なお、カストロフ演出の「リング」は来年が最終年となる。

 

「さまよえるオランダ人」ゼンタらが働く扇風機工場=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「さまよえるオランダ人」ゼンタらが働く扇風機工場=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

【バイロイト音楽祭2016 歌劇「さまよえるオランダ人」再演】

 2012年に新制作されたヤン・フィリップ・グローガー演出の「さまよえるオランダ人」の上演は今年が最後で、来年はラインアップから姿を消す。取材したのは14日の公演。

 演劇畑出身で近年オペラにも積極的に取り組んでいるグローガーの基本コンセプトは「真の愛の尊さ」。大量生産・大量消費という米国を中心とした戦後経済の基本的な考え方や拝金主義にアンチテーゼを突きつけるものであった。

「さまよえるオランダ人」水夫の合唱=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「さまよえるオランダ人」水夫の合唱=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 舞台設定は第二次大戦後の1950年代後半から60年代前半あたりに移し変えられ、ゼンタらが糸車を回す繊維工場は、扇風機を箱詰めにする工場の作業所に。札束を燃やして愛を誓い合うゼンタとオランダ人、段ボールで作ったトーチで自由の女神のポーズを取るゼンタ。そのトーチはいつしか血に塗られていく……。

 初年度は上記のように演出家のコンセプトを分かりやすく想起させる仕掛けが施されていたが、今年は当初の演出意図、とりわけ反米的な部分が大幅に薄められていた。プレミエ当時と現在では、世界経済の情勢も大きく変化していることに加えて、欧米を中心にイスラム過激派などによる国際テロリズムの脅威にさらされている状況で、グローガーが伝えたかったメッセージも幾分色あせてしまった感も否めない。そうした点を考慮しての手直しだったのだろうか。現代の世相をオペラのステージに反映させていくスタイルの読み替え演出の難しさの一端が伝わってきた。

 指揮はライン・ドイツ・オペラ音楽総監督のアクセル・コーバー、主要なキャストはトーマス・マイヤー(オランダ人)、リカルダ・メルベート(ゼンタ)、ペーター・ローゼ(ダーラント)、アンドレアス・シャーガー(エリック)。来年、「パルジファル」の再演の題名役に決まっているシャーガーの好調ぶりが目立ったことに加えて、バイロイト祝祭合唱団の豊かな表現力が光るステージであった。

「さまよえるオランダ人」ゼンタとオランダ人=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath
「さまよえるオランダ人」ゼンタとオランダ人=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

 

 2017年のバイロイト音楽祭はこの「さまよえるオランダ人」に代わって「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が新制作される。指揮はウィーン交響楽団首席指揮者で、スイス出身のフィリップ・ジョルダン。演出はオーストラリア・メルボルン生まれで近年、ウィーン国立歌劇場やベルリン州立歌劇場をはじめとするヨーロッパの名門劇場でワーグナー作品などを手掛けているバリー・コスキーが務める。出演はミヒャエル・フォレ(ハンス・ザックス)、クラウス・フロリアン・フォークト(ヴァルター)、アンネ・シュヴァーネヴィルムス(エーファ)ら。

 また、再演演目は「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」、「パルジファル」と大型作品が並ぶ。7月25日の「マイスタージンガー」のプレミエ上演で幕を開け、8月28日に閉幕する予定。(宮嶋 極)

公演データ

【バイロイト音楽祭2016「ニーベルングの指環」再演】

楽劇「ラインの黄金」7月26日、8月7、20日

楽劇「ヴァルキューレ(ワルキューレ)」7月27日、8月8、21日

楽劇「ジークフリート」7月29日、8月10、23日

楽劇「神々の黄昏」7月31日 8月12、16、25日

会場はいずれもバイロイト祝祭劇場

 

指揮:マレク・ヤノフスキ

演出:フランク・カストロフ

舞台製作:アレクサンダー・デーニック

衣裳:アドリアンナ・ブラガ・ペレトツキ

照明:ライナー・キャスパー

映像:アントレアス・ディーネルト イエンス・クルール

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

 

ヴォータン:イアン・パターソン(ラインの黄金)ジョン・ラングレン(ヴァルキューレ)

ローゲ:ロベルト・サッカ

フリッカ:サラ・コンノリー

エールダ:ナディーネ・ヴァイシュマン

アルベリヒ:アルベルト・ドーメン

ミーメ:アンドレアス・コンラット

ファーゾルト:ギュンター・クロイスベック

ファーフナー:カール・ハインツ・レーナー

ジークムント:クリストファー・ヴェントリス

ジークリンデ:ヘイディ・メルトン

フンディング:ゲオルク・ツェペンフェルト

ブリュンヒルデ:キャスリーン・フォスター

ハーゲンを熱演したミーリンク=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath 拡大
ハーゲンを熱演したミーリンク=Bayreuther Festspiele(C)Enrico Nawrath

ジークフリート:シュテファン・ヴィンケ

さすらい人:ジョン・ラングレン

小鳥:アナ・ドルロフスキ

グンター:マーカス・エィチェ

ハーゲン:シュテファン・ミーリンク

グートルーネ:アリッソン・オアケス

ヴァルトラウテ:マリーナ・プラウデンスカヤ

ほか

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

【バイロイト音楽祭2016 歌劇「さまよえるオランダ人」再演】

7月30日、8月3、14、18、26日 バイロイト祝祭劇場

指揮:アクセル・コーバー

演出:ヤン・フィリップ・グローガー

ステージ・デザイン:クリストフ・ヘッツァー

衣装:カリン・ユド

照明:ウラス・シェーネバウム

ビデオ:マーティン・エーデンバーガー

ドラマトゥルギー:ゾフィー・ベッカー

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

オランダ人:トーマス・マイヤー

ゼンタ:リカルダ・メルベート

ダーラント:ペーター・ローゼ

エリック:アンドレアス・シャーガー

マリー:クリスタ・マイヤー

舵手:ベンヤミン・ブランズ

ほか

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

 

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ) スポーツニッポン新聞社勤務の傍ら音楽ジャーナリストとして活動。スポニチ紙面、ウェブにおける取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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