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岡崎 武志・評『燈火』『文庫本宝船』ほか

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今週の新刊

◆『燈火』三浦哲郎・著(幻戯書房/税抜き2800円)

 不意に自分の身体からその「音」を聞いた後、男は崩れ、病院へ搬送される。一命を取り留めたベッドで、見舞いに来た娘から、愛犬の死に瀕(ひん)しての意外な話を明かされる。

 『燈火』は、三浦哲郎が遺(のこ)した未完の連作短編集。自身の家族をモデルにした馬淵家の身辺を描く。つまり私小説だが、磨き上げられた文章と、比類なき構成の妙で上質の味わいを醸し出す。

 冒頭に引いた「音」を始め、「花」「春」「風」など、漢字一字を章タイトルにした全9章。「涙」は、妻が髪を染めなくなったという話から、「月にいちど、髪を黒く染めなければ生きられない」馬淵の肉親の存在が浮かび上がる。代表作『忍ぶ川』『白夜を旅する人々』の読者にはおなじみ、三浦文学の「宿命」だ。

 全編を「死」の影が支配しながら、透徹した眼が見つめる日常は、穏やかで時にユーモラス。上品なコンソメを味わうように、文学を味わってください。

◆『文庫本宝船』坪内祐三・著(本の雑誌社/税抜き2500円)

 本誌連載でもおなじみ、いま最も目配りが広く、ポップな批評精神を持つ書き手が坪内祐三。『週刊文春』誌上に20年続く長期連載となる名物企画が「文庫本を狙え!」だ。『文庫本宝船』はその単行本化第4弾。

 登場する文庫は300冊以上。驚くべきは、守備範囲の広大さ。ヴァレリー、サリンジャー、林達夫、菊地成孔、植草甚一、古今亭志ん朝、鈴木則文など、船に積む宝の多さは、普通なら沈むところだ。しかし腕利きの著者は、この重さを軽々と運んでしまう。

 たとえば由良君美『みみずく偏書記』(ちくま文庫)を取り上げた一文で、自分が敬愛する博学者の系譜に、この著者を連ね、いかなる影響を受けたかを明かす。そして、パソコンの秀才たちから、このような博学者たちは生まれないと釘(くぎ)を刺す。

 独自の知見を記しつつ、その作品の勘所を押さえ、適確な引用で読者の購買欲を高める700ページの本は、机の上に立ちます。

◆『日本の少年小説』相川美恵子・著(インパクト出版会/税抜き2800円)

 大逆事件、橘外男『私は前科者である』、中山義秀『少年死刑囚』など、王道の文学史が避けてきた裏道を照射してきたシリーズの8冊目。相川美恵子編集・解題『日本の少年小説』が出た。泉鏡花から吉屋信子、山中峯太郎、那須正幹などによる、日清・日露から太平洋戦争まで、若年層のナショナリズムを刺激し、「少国民」を育てた少年少女小説があった。著者は、章別にそれらの作品を再録しながら、戦争の影を読み解いていく。巻末の「少国民文学史」ともなる年表は労作。

◆『石原吉郎セレクション』柴崎聰・著(岩波現代文庫/税抜き1100円)

 こういう一冊が欲しかった。柴崎聰編『石原吉郎セレクション』は、特異な孤高の詩人の散文をまとめる。詩人はハルビンで敗戦を迎え、シベリア送りとなる。死を直視する収容所暮らしに耐え、特赦により1953年12月帰国。本書は、その極限の日々、帰国後に書きはじめた詩、聖書と信仰、そしてユーモアについての文章から成る。「ただ呼吸困難な状態を辛うじて救うための最小限の表現手段」として書かれた詩、そして文章は、考え抜かれた厳しい言葉で、浮わついた現代人を叩(たた)く。

◆『集合住宅』松葉一清・著(ちくま新書/税抜き820円)

 19世紀半ばから20世紀前半にかけて、全世界的に建設されたのが、低所得者や労働者向けの集合住宅。松葉一清『集合住宅』は、貧富の差を埋める「ユートピア」を、検証、再評価する。豊富な労働力確保と「職住近接」実現のため、たとえば通称「軍艦島」には、鉄筋コンクリート住宅が林立する。いま廃虚巡りで人気を博すこの島の「荒ぶるイメージ」は、どうして生まれたか。フランクフルト、ウィーン、アムステルダム、パリ、東京と、建築評論家の眼は、国家と個人の「夢の跡」をさすらう。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』など

<サンデー毎日 2016年10月9日増大号より>

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