- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
どこか狂気が漂う一方、哀れでもありました
◆『堤清二 罪と業 最後の「告白」』児玉博・著(文藝春秋/税抜き1400円)
西武王国を築いた堤康次郎の息子に生まれながら、父の跡を継ぐことを許されず、セゾングループの総帥と作家・辻井喬という二つの面を生きた堤清二氏。晩年の彼へのインタビューをもとにした本書は、堤家の生々しい肉声が伝わるノンフィクションだ。『文藝春秋』での連載に対し、大宅壮一ノンフィクション賞が贈られた。
「2005年に清二氏の異母弟である堤義明氏が逮捕された際、財界を引退したはずの清二氏が西武の再建に口を出しました。その理由を聞こうと清二氏に取材を申し込んだところ、計7回にも及ぶインタビューになりました。清二氏は、予想もしていなかったことを次々に語ってくれました。それは、いわば『魂の遺言』でした」
かつて、辻井喬は堤康次郎の生涯を描いた『父の肖像』を発表している。
「清二氏は若い頃、暴君だった父に反発していた。その父が彼に残したのは、ちっぽけな赤字の西武百貨店だけだった。それを、巨大なセゾングループに発展させます。清二氏にとって父の伝記を書くことは、逃げ難い業の客観化だったんじゃないでしょうか。父が一番愛した子は自分だと何度も語る清二氏の姿は、どこか狂気が漂う一方、哀れでもありました」
一方で、異母弟・義明氏に対しては冷たく突き放す。
「インタビューでは、終始『義明くん』と侮蔑した調子でした。自分の方が能力が上だと確信していたから、父が決めた棲(す)み分けを確信犯的に破り、義明氏のホテル開発まで事業を拡大していった。義明氏が権力で人をねじ伏せたのに対して、清二氏は天才がゆえの暴君でもありました」
その後、清二氏は渋谷への進出、出版社リブロポートや書店リブロの開店などで、1980年代の「セゾン文化」をもたらす。
「彼は『終わりのない実験』と言っていました。たとえば、84年オープンの有楽町西武では、高級外車まで扱った。セゾンは知を商品化し、クールジャパンの源流でもあります。現在の消費社会につながることを、清二氏はやり尽くしていた」
清二氏との会話はとても楽しかったと、児玉さんは言う。
「記憶力はさすがで、萩原朔太郎のある文章が何年にどういう媒体に発表したものかとか、セゾン美術館のエゴン・シーレの展示がいつだったかとか、すぐ答えが返ってきた。話しかたも非常に理路整然としていました、それが乱れたのは、母・操のことを語った時でした。康次郎との内縁関係やほかの女性のことで悩んだ操は、短歌に救いを求めました。母について語る清二氏は、感情の収まりがつかずに、うろたえた様子でした」
連載では、インタビューで聴いた西武の崩壊と清二氏の内面という二つの要素を入れて書いた。単行本ではさらに100枚加筆している。
「インタビューに肉付けすることでひとつの読み物にできたことは、自分でも発見でした。これからの仕事の領域が広がったような気がします」
(構成・南陀楼綾繁)
−−−−−
児玉博(こだま・ひろし)
1959年、東京都生まれ。ジャーナリスト。大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。主な著書に『“教祖”降臨 楽天・三木谷浩史の真実』『幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来』がある
<サンデー毎日 2016年10月9日増大号より>