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文化大革命とはの巻

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文化大革命とはの巻
文化大革命とはの巻

「造反有理」と知識人や文化財を攻撃 中国を大混乱させた10年

文太はイスラム国(IS)は文革のようだ、と言っています。
文革とは何か知っていますか?

中国の「文化大革命」のことです。
1966年、中国共産党主席だった毛沢東が提唱した政治活動で、彼が死去した76年まで続きました。

毛沢東は58年に「大躍進」運動を始めたものの失敗し、多くの餓死者が出ました。
発展途上の技術で鋼鉄の大増産を試みるも失敗し、経済が大混乱して食料生産も落ち込みました。
その責任を問われ、翌59年に国家主席を退きました。

代わって劉少奇が国家主席、鄧小平が党総書記に就任しました。
これに対し毛沢東は軍の支援を受け、「国家の危機」と称して権力奪還を狙って反撃に出たのです。
文太はイスラム国(IS)は文革のようだ、と言っています。 文革とは何か知っていますか? 中国の「文化大革命」のことです。 1966年、中国共産党主席だった毛沢東が提唱した政治活動で、彼が死去した76年まで続きました。 毛沢東は58年に「大躍進」運動を始めたものの失敗し、多くの餓死者が出ました。 発展途上の技術で鋼鉄の大増産を試みるも失敗し、経済が大混乱して食料生産も落ち込みました。 その責任を問われ、翌59年に国家主席を退きました。 代わって劉少奇が国家主席、鄧小平が党総書記に就任しました。 これに対し毛沢東は軍の支援を受け、「国家の危機」と称して権力奪還を狙って反撃に出たのです。
敵対する指導者らを「資本主義の道を歩む実権派」として打倒を目論みました。
『毛沢東語録』を数億冊印刷して政治宣伝に利用し、66年5月の中国共産党の通知(5・16通知)で「反革命分子との闘い」を呼びかけました。

運動を主導したのは王洪文、姚文元、江青(毛沢東の妻)、張春橋の「4人組」です。
政府や軍の幹部を親に持つ都市部の中高生たちが率先して運動に加わりました。
彼らを紅衛兵といいます。

「造反有理(反逆には道理がある)」と叫び、「四旧(古い思想、文化、風俗、習慣)打破」として指導者や知識人を攻撃し、文化財を破壊しました。

学校や職場は機能しなくなりました。

やがてエリート2世に反発する勢力が別組織をつくり、紅衛兵は内部抗争を始めました。
敵対する指導者らを「資本主義の道を歩む実権派」として打倒を目論みました。 『毛沢東語録』を数億冊印刷して政治宣伝に利用し、66年5月の中国共産党の通知(5・16通知)で「反革命分子との闘い」を呼びかけました。 運動を主導したのは王洪文、姚文元、江青(毛沢東の妻)、張春橋の「4人組」です。 政府や軍の幹部を親に持つ都市部の中高生たちが率先して運動に加わりました。 彼らを紅衛兵といいます。 「造反有理(反逆には道理がある)」と叫び、「四旧(古い思想、文化、風俗、習慣)打破」として指導者や知識人を攻撃し、文化財を破壊しました。 学校や職場は機能しなくなりました。 やがてエリート2世に反発する勢力が別組織をつくり、紅衛兵は内部抗争を始めました。
武力闘争で農地が荒らされ農民までも武装決起し、文革は収拾不可能になりました。
困った毛沢東と中国共産党は、68年に暴走する紅衛兵を地方の農村へ事実上追放しました。
これを「下放」といいます。

10年間の混乱で経済的損失は5000億元。
犠牲者は公式には死者40万人、被害者1億人ですが、一説には死者2000万人とも言われています。

68年に劉少奇は失脚、翌69年に虐待され病死しました。
毛沢東の後継者に指名された林彪が71年に毛暗殺計画を計画するも、逃亡中に墜死する事件も起きました。
76年に毛沢東が死去すると、後継者の華国鋒によって4人組は逮捕されました。
しかし鄧小平らとの権力闘争に敗れ、華国鋒は81年に党主席を辞任。
中国は改革・開放路線へ転換しました。
武力闘争で農地が荒らされ農民までも武装決起し、文革は収拾不可能になりました。 困った毛沢東と中国共産党は、68年に暴走する紅衛兵を地方の農村へ事実上追放しました。 これを「下放」といいます。 10年間の混乱で経済的損失は5000億元。 犠牲者は公式には死者40万人、被害者1億人ですが、一説には死者2000万人とも言われています。 68年に劉少奇は失脚、翌69年に虐待され病死しました。 毛沢東の後継者に指名された林彪が71年に毛暗殺計画を計画するも、逃亡中に墜死する事件も起きました。 76年に毛沢東が死去すると、後継者の華国鋒によって4人組は逮捕されました。 しかし鄧小平らとの権力闘争に敗れ、華国鋒は81年に党主席を辞任。 中国は改革・開放路線へ転換しました。
一方で文革が60年代の世界に与えた影響は大きいものでした。
各地で社会運動や反政府運動が巻き起こりました。
仏のサルトルら知識人や学生ベトナム反戦運動や一部の黒人解放運動、日本での安保闘争などです。
やがて暴走した思想はカンボジアを独裁統治したポル・ポト政権や、ペルーのセンデロ・ルミノソを生み出しました。

社会をめちゃくちゃにした運動なのに、なぜ広がったのでしょう。
若者を中心に、米ソへの幻滅、社会への疑問や憤りの受け皿になったのです。
記者も攻撃対象となり、文革の実像を報道できなかったことを忘れてはなりません。
一方で文革が60年代の世界に与えた影響は大きいものでした。 各地で社会運動や反政府運動が巻き起こりました。 仏のサルトルら知識人や学生ベトナム反戦運動や一部の黒人解放運動、日本での安保闘争などです。 やがて暴走した思想はカンボジアを独裁統治したポル・ポト政権や、ペルーのセンデロ・ルミノソを生み出しました。 社会をめちゃくちゃにした運動なのに、なぜ広がったのでしょう。 若者を中心に、米ソへの幻滅、社会への疑問や憤りの受け皿になったのです。 記者も攻撃対象となり、文革の実像を報道できなかったことを忘れてはなりません。

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