平尾さん死去

早すぎるノーサイド ラグビーの申し子

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ラグビーW杯予選の韓国戦で独走する平尾さん=秩父宮ラグビー場で1990年4月11日撮影
ラグビーW杯予選の韓国戦で独走する平尾さん=秩父宮ラグビー場で1990年4月11日撮影

 伏見工、同志社大、神戸製鋼とラグビーの表舞台を歩き続け、日本代表監督も務めた平尾誠二さんが53歳の若さでこの世を去った。踊るようなステップでグラウンドを駆け抜け、引退後も輝き続けた平尾さんの早すぎる「ノーサイド」に、ゆかりの人々は大きな衝撃を受けている。

 伏見工時代の恩師の山口良治総監督(73)は「非常にショックを受けている」「(亡くなる)順番が違うぞと言いたい」と沈痛な面持ち。日本が南アフリカを破る大金星を挙げた昨年のワールドカップでは、一度はイングランドに行くと話していたが、その後に「手術をするので行けなくなった」と連絡があったという。山口さんは「高校時代は私の代わりとなるぐらいのリーダーシップを発揮してくれた。伏見工の初優勝が一番印象深いが、史上最年少で日本代表になるなど大きな活躍をしてくれた」と振り返った。

 高校、大学、社会人で共にプレーした大八木淳史さん(55)は「残念。ショック……やな」と一言。大八木さんが高校1年で平尾さんが中学3年の時に初めて会ったといい、大八木さんは「中学生にこてんぱんに負けて、腹立つなと。強烈な印象だった。当時からラグビーの申し子のようで、カリスマ性があった」と振り返る。

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