後藤又兵衛

最期、詳細に 岡山県立博物館、書付を確認

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後藤又兵衛=福岡市博物館提供
後藤又兵衛=福岡市博物館提供

 大坂夏の陣(1615年)で豊臣方で戦い、討ち死にした戦国武将、後藤又兵衛の最期の様子が記された、新たな書付(かきつけ)(当時のメモ)を岡山県立博物館(岡山市)が確認し、公表した。又兵衛が配下の金万(こんま)平(へい)右衛(え)門(もん)に自身の首を討たせるのに使われた脇差しが、豊臣秀頼からもらったものだったことが記され、又兵衛が秀頼から信任されていたことを示す貴重な資料という。

 縦27・4センチ、横35センチで、関西に住む平右衛門の子孫宅から見つかった。平右衛門の直筆か、子孫が書き付けたとみられ、豊臣方が又兵衛の最期を記したものとしても珍しい。「後藤又兵衛討死之時」と書き出し、秀頼から(又兵衛が)拝領した「脇差行光」で首を討ったことや、秀頼に最期を報告した際、又兵衛の折れた指物(刀)を討ち死にの証拠として差し出されたことが記されている。

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