メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

=古屋智子

プロローグ

 運輸省(現・国土交通省)本省は、霞が関二丁目の皇居(桜田濠)寄りにある。六本木通りのゆるい坂道沿いに建つ、地上十一階・地下一階のどっしりしたビルで、外務省と同様、各階に庇(ひさし)が付いている。

     地上の鉄のゲートを出入りする人々や、要人を乗せて正面玄関前の駐車場を発着する黒塗りのセダンを見下ろすかのように、屋上で日の丸の旗が初夏の青空を背景にへんぽんと翻(ひるがえ)っていた。

     航空運送事業、航空交通、空港などを所管する航空局は七階にある。十四基のエレベーターを持つホールを挟んでH形をしたフロアーで、西の国会議事堂側に航空局長、審議官(国際担当)、航空ネットワーク部長、総務課、予算・管財室、政策調査課といった官房系が、東の日比谷公園側に安全部、航空ネットワーク部、交通管制部、首都圏空港課など三十ほどの実務系の部署がある。

     ベージュのリノリウム張りの床にはたくさんの人の靴底や、書類などを乗せる台車の車輪による無数の黒い傷がついているが、航空という分野を扱っているせいか、他の階に比べると華やいだ雰囲気があり、人の出入りも多い。

     長い廊下には各部署のドアが並んでいる。

     中に入ると、衝立(ついたて)兼用の灰色のキャビネットが林立し、狭間(はざ ま)に六人くらいがすわれる面談用のテーブルが置かれている。他の中央官庁同様、人が多く雑然としているが、高層階にあるので、大きな窓は東西どちらの方角も眺めがよい。

     テーブルの一つで、航空局計画課の担当官と部下が、背広姿の中年男性と向き合っていた。

    「……要は、もう来年の春には八五パーセントくらいまで工事ができ上がるけれども、就航する航空会社が決まっていないと、こういうわけですな?」

    ワイシャツ姿の担当官が詰問調でいった。

    「ええ、はい。まあ、そういうことです」

     向かい側にすわった男の答えは歯切れが悪い。

     入館者証を首に下げた背広の男は、この年(平成八年)四月から、熊本県庁の企画開発部交通対策総室課長補佐として天草空港の担当になった田山洋二郎であった。それまで主に広報や総務といった部署を歩んできたので、青天の霹靂(へきれき)の異動だった。

    「熊本県さんねえ、この天草空港、いつから建設が始まったか、ご存知ですよね? 最近ご担当になられたそうですけど」

    「それはまあ、もちろん。平成二年の十二月に運輸大臣の設置許可を頂きまして、平成三年に建設事務所を置いて地権者との用地買収交渉を始め、平成五年の二月から建設に着手しました」

     天草空港は、熊本県天草地方の中心である本渡(ほんど)市(現・天草市)の市街地から約四キロメートル離れた丘陵地帯(天草郡五和町=いつわまち=)大字城木場(じょうのこば)字明光田に建設中のコミューター(六十人乗り以下の小型機による二地点間の定期運航)空港で、面積は約三〇万六四二一平方メートル、滑走路の長さは一〇〇〇メートルである。来年春までに投資総額は八十五億円に達する見込みで、このうち四割を国が補助金として出している。

    「平成二年に許可を出してから、もう五年半でしょ? 箱(空港)だけ作って肝心の航空会社が決まらないんじゃ、莫大(ばく だい)な税金をどぶに捨てることになると、我々のほうからも何とかしてほしいと、ずっとお願いしてきたわけですよ」

     航空局の担当官は嫌味たっぷりにいった。

     四十五歳の田山は「県庁のご意見番」の異名をとるやり手だが、神妙な顔で話を聞く。

    「ご存知の通り、昨今は日本の経済情勢も厳しくて、無駄な公共事業に対する風当たりが強いですからねえ」

     バブル崩壊後の日本は未曽有の不況に陥っており、国会は大量の不良債権を抱えた住宅金融専門会社に六千八百五十億円の税金を投入する法案を審議中で、長銀、日債銀、山一証券といった体力の弱い金融機関の経営危機も囁(ささや)かれ始めている。

     こうした中、全国的にバブルの尾を引く大型公共事業が批判の的となり、熊本県では、川辺川ダム、九州新幹線、そして天草空港が「三大無駄遣い」として槍玉(やりだま)に挙げられている。

     もし天草空港に就航する航空会社が見つからず、投入した税金が無駄になれば、運輸省は自分たちにも批判の矛先が向かうと懸念していた。

    「なんともどうも……」

     就航する航空会社が決まらないままずるずる来たのは、着任して日の浅い田山のせいではないが、俯(うつむ)くしかない。熊本県は、知事の詫(わ)び状も何度か差し入れていた。

    「で、本田航空さんはやっぱりもう可能性はゼロなわけですか?」

     もともと熊本県が天草空港の検討を始めたのは、細川護熙(もり ひろ)元知事(在任昭和五十八年~平成三年)が熊本都市圏や熊本空港と県内すべての主要都市を九十分で結ぶ「九十分構想」を打ち出したのがきっかけだった。

     空港の設置許可申請に踏み切ることができたのは、本田技研工業の子会社である本田航空(本社・埼玉県比企(ひ き)郡川島町)が天草を拠点にCASA C212型プロペラ機(スペイン製、二十六人乗り)を熊本、長崎、福岡などに飛ばす意向を示したからだった。同社は熊本空港のすぐそばに二階建ての事務所や格納庫も造り、熊本県と進出協定も結んだ。しかしその後、バブル崩壊後の経営悪化で、天草だけでなく、不採算部門であるコミューター事業から全面撤退することになった。

     また天草空港が推進されるもう一つの要因だった西武鉄道グループの天草におけるゴルフ場やホテル建設計画も、バブル崩壊後の日本経済の低迷や用地買収の難航のために、ほぼ見込みがなくなっていた。西武の進出は、本田航空が就航を前向きに考える理由でもあった。

     そして造りかけの空港だけが残ってしまった。

    「残念ながら本田航空さんは正式に撤退表明をされましたので……」

     田山がいった。「だけん、今、JAS(ジャス)(日本エアシステム)さんとか、長崎航空、琉球エアーコミューターなんかに当っているところです」

     田山は着任以来、北は設立準備中のHAC(ハック)(北海道エアシステム)から南は沖縄まで、就航してくれそうな航空会社を探して東奔西走の日々を送っていた。

    「どこか可能性のありそうな会社はあるんですか?」

    「JASさんも前向きに検討してくれてますが、今のところ一番手ごたえがあるのが長崎航空さんです」

     長崎航空(本社・長崎県大村市、現・オリエンタルエアブリッジ)は長崎県などが出資する第三セクターの航空会社で、県内の離島空港(隠岐、上五島=かみごとう=)、小値賀(おぢか)と長崎・福岡間で九~十九人乗りの小型機を運航している。

    「ほう、長崎航空さんがねえ」

     運輸省の二人は、半信半疑の顔つき。

    「先方さんがいうには、自分たちも離島空港だけだと発展性が限られると。何とかスケールメリットが出るような形になれば、少しはよくなるんじゃないかと」

     やり手らしい生気と手堅さが漂う風貌の田山は朴訥(ぼく とつ)とした熊本訛(なま)りでいった。

    「ただあそこは、飛ばすとしたらツインオッターかドルニエということなんです」

     ツインオッター(双子のカワウソ)はデ・ハビランド・カナダ(現・ボンバルディア・エアロスペース)社製の十九人乗りのプロペラ機DHC-6型機(ダッシュ6)の愛称だ。ドルニエはドイツの航空機メーカーの名前で、九人乗りのプロペラ機を製造している。

    「両方とも小さな飛行機なんで、地元経済へのインパクトはあまりないけれど、それでいいかと」

    「まあ、そうでしょうね。……それで熊本県さんとしては、どうされるおつもりなんですか?」

    「現状の可能性としてはJASさんと長崎航空さんしかありません。ですから知事に了解を頂いて、それぞれ話を続けようと思います」

     まさか自分たちで航空会社を作って運営するわけにもいかないので、どこかを誘致するしかない。

     自治体が主体で作った第三セクターの航空会社としては長崎航空があるが、国から離島補助金が出ている。一方、天草は昭和四十一年に開通した天草五橋で九州本土とつながっているため、航空会社を作っても補助金は出ない。

    「なるほど、分かりました。とにかくハード(空港)だけ作ってソフト(航空会社)がないんじゃ話になりません。田山さん、これまでのことはあなたのせいじゃないけれど、あなたがご担当になられたんだから、責任をもって再来年(平成十年)には仕上げて下さい。もう何度も何度も遅延して、また延ばされたら、こちらもたまったもんじゃありません」

     翌日――

     熊本城の豊かに葉を繁らせたクスノキの木々に明るい日差しが降り注ぎ、東の方角には阿蘇が初夏らしい姿を見せていた。

     東京から戻った田山洋二郎は、熊本城から東南東に三キロメートル半ほど離れた中央区水前寺六丁目にある県庁に出勤した。昭和四十二年に建てられた地上十三階・地下二階建ての堂々としたビルで、議会棟と警察棟が隣接している。正面玄関から目の前の県道36号までの二〇〇メートルほどのプロムナードはイチョウ並木で、秋になると美しい金色に色づく。

     田山の職場は三階の交通対策総室である。

     バス、電車、新幹線、空港など、公共交通を担当する部署で、北向きの窓を背に、総室長、次長、審議員ら四人が横並びですわり、その前に四つの班がある。総室長は運輸省から出向してきているキャリア官僚だ。

    「……ちょっとよかね、福島君」

     席についた田山は、斜め前にすわっている部下の福島純一に声をかけた。

     天草空港と九州国際空港を担当する田山には部下が二人おり、福島が天草空港、もう一人が九州国際空港を担当している。

     九州国際空港は、九州の知事会と九州・山口経済連合会の意見交換会で検討することが合意された大型の国際ハブ空港だが、田山も着任する前は聞いたことがなかった。どこに建設するかも決まっておらず、実現するとしても相当先になりそうだ。

    「昨日、運輸省で話したとばってん、とにかく早う航空会社ば決めてくれんねて、こぎゃんわけたい」

     福島は京都大学を出て、読売新聞社に勤務したあと県庁に入った三十半ばすぎの男で、優しく気配りのできる人柄である。

    「それで御前会議ば開いて、知事にJASと長崎航空との話し合いの現状ば報告しようて思っとるけん、資料ば作ってくれんね」

     御前会議には知事と関係部長が出席する。

    「でまあ、ポイントは、どの航空会社が就航するにしてもたい、年間二、三億円の赤字が出るごたるけん、、こればどぎゃん補てんするかていう話になると思うんと……」

    「田山さん、わたしはこれまで資料ば何十回と作ってきたとです」

     福島は思いつめたような顔で切り出した。

    「ばってん、作るたびにパー、作るたびにパーで、まっで賽(さい)の河原のごたるです」

     福島の口調には抑えきれない不満がにじんでいた。

    「わたしは二年前から天草空港ば担当しとります。その間、航空会社に関しては、何の進展も見られまっせん。歴代の(交通対策)総室長、交通計画課長、そのほか色々な人が担当して、今、こぎゃん状態です」

     田山は予想外の部下の反応に言葉がない。

    「県庁内でもいったい何ばしとるとかという声ばっかりですし、天草空港なんかいうただけで嫌な顔ばさるるけん、職員同士で飲みに行くとも気が引けるとです」

    天草空港に関しては、熊本県庁内でも批判する職員が多い。去る五月には「西日本新聞」や「朝日新聞」で〈〝視界不良〟の十年度開港 採算心配、航空会社決まらず〉といった見出しの記事が相次いで掲載された。

    「無駄な資料はもう作りたくなかです。もちろん本当に活きる資料なら作ります。田山さん、おっしゃっとるとは本当に必要な、将来のためんなる活きる資料でっしゅうか?」

     部下のやり場のない憤りに田山はしばし絶句し、やがて口を開いた。

    「福島、お前ん気持ちは分かる。そるばってん、俺は必ずこの仕事ばやり遂げるつもりたい」

     懇々と語りかける口調の中に決意をにじませた。囲碁に強い戦略家で、実行力もある田山は、過去の職場でも着実に成果を上げてきた。

    「お前もずいぶんつらか思いばしたとだろうが、もちっと俺に付き合ってくれんね。俺は必ず天草空港かる飛行機ば飛ばすけん」

    「……」

    「何事も中途で諦めたら駄目たい。お前も一つの仕事ばやり遂げたという征服感がなかと、次の部署で仕事はやれんばい」

     それは田山自身がこれまで様々な仕事に取り組むにあたって、自分にいい聞かせてきた心構えでもあった。

    「俺は必ずこの仕事ばやり遂げる。誰に何といわれようとたい。だけんお前も飛行機が飛ぶとば見届けるまでは頑張ってくれんね」

     田山自身、どうなるか不安を抱えてはいたが、揺れる内心を部下に見せるわけにはいかなかった。

     同年(平成八年)十二月十一日――

     県庁に隣接する議会棟の本会議場で県議会の定例会が行われていた。

     正面奥に一段高い議長席があり、背後の壁に日の丸と、「ク」の字を九州の形に白抜きした熊本県旗が掲げられていた。

     午前十一時すぎ、議長席手前の演壇に天草の本渡市選出の船田直(ちょく だい)大(ちょく だい)議員が登壇した。元会社役員で、昨年の県議選で初当選した四十代後半の男である。

    「……私も県議になりまして、もう一年九ヶ月になりました。本渡のほうでは、わたしはまず顔が悪い、口が悪い、態度が悪い、がらが悪い、色々いわれております」

    豊かな頭髪で押し出しもよい船田議員は、本渡市議を七期務め、議会慣れしている。

    「頭はー!?」

     議場から野次が飛び、失笑が漏れる。

    「頭はいいほうでございます。それでまあ、せからしかとは県会に行って、天草の浮揚のことを一生懸命いうてもらおうじゃないかということで県会に送って頂きました」

    「せからしかとは」は「うるさい奴は」という意味だ。

    「ところが今いいました、この悪さでございますが、五十六人の(県議の)皆さん方の中に入ってみましたら、だいたい真ん中へんでございまして……」

    「本題に入れー!」

     船田議員は怯(ひる)むことなく、なおしばらく前置きをしてから、ようやく質問に入る。

    「まず天草空港の推進についてでございますけれども、有明海、八代海、そして東シナ海と美しい海に四方を囲まれた天草地域は大小百二十あまりの島々からなり、一六世紀に我が国にもたらされたキリシタン文化がいち早く花を咲かせたロマン溢れる地域であります」

     天草には、天草四郎時貞関連の史跡、禁教時代のキリシタン文化を今に伝える﨑津天主堂や大江天主堂、与謝野鉄幹や北原白秋らの旅の跡地「五足の靴文学遊歩道」など、歴史的な見どころが多い。

    「今日、熊本から関西、関東まで飛行機で一時間から一時間半という時代にあって、本渡市から熊本市まで二時間以上もかかります。西岡先生なんかは三時間かかって来てる。自分で運転なさっている、眠りもしないで」

     西岡勝成は天草下島南端の牛深(うしぶか)市選出のベテラン県議だ。本渡から熊本市までは九五キロメートルあるが、牛深は本渡よりさらに四〇キロメートル南にある。

    「特に海水浴でにぎわう夏場などは渋滞で四時間ぐらいかかる。このように県内で最も交通アクセスが悪く、かつ県内で唯一高速交通体系の空白地帯となっている天草地域において、総合的な交通体系の充実が島民の大きな願いであります」

     船田議員は、天草にとって空港は重要であるとして、開港時期と航空会社の就航の見通しについて県側に問い質(ただ)した。

     議場左手の県執行部(行政)側の席から、交通対策総室を所轄する県庁の企画開発部長が立ち上がり、演壇に進んで一礼した。

    「第一点目の航空会社の見込みなど、運航体制についてのお尋ねでございますが、本田航空の経営悪化を受けまして、複数の航空会社に幅広く働きかけを行なっているところでございます」

     答弁する企画開発部長は二年間の予定で出向してきている大蔵省(現・財務省)のキャリア官僚だ。まだ三十代後半だが、酒太りしていて、議員のような貫禄がある。

    「現在交渉中ということもございまして、申し上げにくいところもございますが、現在はお話にありましたような航空会社(長崎航空)をメーンに交渉いたしているところであります。運航路線につきましては、従来の計画に沿って、熊本と福岡の二路線を想定いたしております」

     県企画開発部長は、開港時期については、平成十年三月末に空港施設が完成する予定だが、運航の安全性と定時性を確保するために、無線施設や夜間照明施設を新たに整備する必要があり、運輸省と協議する必要もあることから、開港は平成十二年春頃まで延びる可能性があると述べた。

     船田議員が発言を求め、再び登壇した。

    「ただ今、企画開発部長に答弁をして頂きました。前回色々ご答弁を頂きましたときには、勉強中という言葉が出てまいりましたけれども、今回はまだその勉強中が、猛勉強中という言葉が出てまいりません。さすがに天草のことも三泊四日ぐらいで勉強なさったと、大変ご理解を示して頂いたことを感謝しながら……」

     霞が関の官庁から熊本県に出向してくる官僚たちは、新任の挨拶で個々の県議を訪れると、熊本弁の洗礼を浴び、「分からんとか?」とからかわれ、そこから仕事が始まる。

    「これは天草空港の問題にも関連いたしております。本渡・五和地区西武リゾート開発についてご質問をいたしたいと思います」

     ゴルフ場を中心とする天草のリゾート開発計画は、地元の発展のために是非とも実現しなくてはならないと力説し、質問に入る。

    「リゾート基地建設構想の中核である本渡・五和地区の西武リゾート開発については、昭和六十二年に最初の進出協定を締結して以来、長年にわたり実現に向けて努力を重ねられてきたことは十分承知しておりますが、いまだに実現には至っておりません。このような(用地交渉が難航しているという)厳しい状況を考えると、来年三月末までという目の前に迫った協定期限内に用地買収が完了しないことも予想されますが、協定期限の延長については、どのようにお考えなのかお尋ねしたい」

     執行部の席から商工観光労働部長が立ち上がり、演壇に進んだ。

    「本渡・五和地区西武リゾート開発につきましては、是非実現する必要があるとの認識で、昨年四月から用地買収体制を再編強化いたしまして、天草下島北部地域観光振興公社を中心に、県、そして本渡市、五和町一体となって、取り組んできたところでございます」

     白髪まじりの頭髪で銀縁眼鏡の商工観光労働部長は県庁の生え抜きで、手堅そうな印象の五十代後半の男性である。

     ゴルフ場用地は一一二・三ヘクタールで、この約七九パーセントの八八・六ヘクタールまで買収が進んでいた。地権者数では、二百六十人のうち九五パーセント以上が同意した。

     しかし残った十人あまりの地権者たちが、ゴルフ場で使われる農薬による地下水の汚染など、環境への悪影響を危惧して土地の売却を断固拒否していた。彼らは、五和町の町議会に対して二十回以上も請願書を提出し、「ゴルフ場計画はバブルに浮かれた時期に展望もなく始められた無責任なもので、これ以上の用地買収交渉は人権侵害とみなす」と強硬な姿勢を示していた。

    「公社といたしましては、誠意をもって交渉にあたってきたところでございますが、計画地域のすべての用地を取得することはなかなか楽観できず、非常に厳しい状況にあると認識いたしております」

     土地の買収は地元の自治体がいったん買い上げ、買収がすべて完了したら西武に転売するという異例な形で進められていた。「行政が民間企業の手先になってよかとか」、「ゴルフ場は住民の何の役にも立たん。西武が儲けるだけばい」という批判も根強く、三年前には、買収が進まないため、五和町の町長が引責辞任する事態に発展した。 

    「(西武との)協定期限につきましては、昭和六十二年の締結以来、四回にわたり延長してまいりました。すでに九年が経過しております。これまでの経緯を考えましたとき、来年

     三月末の期限をさらに延長するよう当方から要請することは、きわめて難しいと考えております」

     翌年(平成九年)一月――

     天草下島の五和町に明るい日差しが降り注ぎ、一月のわりには暖かい日だった。

     五和は下島北部の自然豊かな一帯で、付近の海は潮流と起伏に富み、魚類の宝庫である。丘陵地帯の畑では柑橘(かんきつ)類や野菜が作られ、黒毛和牛も生産されている。しかし過疎化の波には抗(あらが)えず、後継者がいない農家ではゴルフ場用地の買収に応じた家も少なくない。

    「……何とかそこば考え直してもらえんでしょうか?」

     一軒の農家の庭先で、禿頭(とく とう)で恰幅のよい福島譲二知事が、作業服に長靴、軍手姿の初老の男性に熱心に話しかけていた。

     六十九歳の福島は、天草の本渡市志柿町(し かき まち)が本籍で、旧制第五高等学校(熊本大学の前身)を経て東大法学部政治学科に進み、大蔵省で大臣官房審議官、佐藤栄作秘書官などを務めたあと四十九歳で衆議院議員に転じ、第一次海部内閣で労働大臣を務めた。平成三年に細川護熙(もり ひろ)知事の引退を受け、知事選に出馬して当選した。

    「もうほとんどんしいが土地の買い上げに同意してくれとらすし、あんたが土地ば売ってくれらっせば、西武も出てきて、空港もでくるし、きっと天草ん暮らしも豊かになるって思うとですよ」

     知事が話しかけているのは、頑として買収に応じないゴルフ場用地の地権者の一人だった。

     熊本県側は最近西武に対して、開発地域を南西の本渡市側に約二〇ヘクタール拡張し、取得済みの用地と合わせてゴルフ場を造ってはどうかと提案したが断られた。バブルが崩壊し、会員が集まらないために建設が中断しているゴルフ場が全国に百ヶ所くらいあるため、西武は、開発への熱意を明らかに失っていた。

     進出協定の期限が二ヶ月後に迫ったため、福島知事は「期限までに買ってみせます」と県議会で宣言し、自分の父祖の地でもある天草で自ら説得に乗り出した。

    「ゴルフ場ができんば、空港にも影響してくっとですよ。地下水の問題は環境汚染が起きんごと、ちゃんとしますけん」

     しかし、農作業姿の男性は首を振ると、そばにあったリヤカーを引いて、畑のある方向の土手を上り始める。

    「あんたには納得のいかんところもあるかもしれんばってん、ここは全部んためって思うて……」

     背広姿の福島知事は、農家の男性のあとに追いすがるように、躓(つまず)きながら土手を上り始める。

     少し離れた場所で二人の様子を見守っていた天草下島北部地域観光振興公社の職員たちも、二人のあとを追った。

    「あいや、なんじゃろ笑るうて話ばしよらっぞ」

     土手を上がって、白菜畑の前の農道に来た職員たちは、二人の様子を見て訝(いぶか)った。

     畑には収穫されたばかりの白菜が積み上げられており、福島知事と農家の男性がリヤカーに積んでいた。知事は白菜を両手でつかみながら男性に話しかけ、男性も笑って応じていた。

    「あんわれは(注・あの人は)、用地問題で集落でも孤立しとって、もう一生笑わんちゃかっじゃろかいっていわれとるぐらいばってんな」

    「うーん、知事さんの説得で気の変わってこらいたっじゃろかいな」

     やがて二人は白菜をリヤカーに積み終え、農家の男性がリヤカーを曳(ひ)き、知事が相変わらず追いすがるようにして話しかけながら、家の前に戻ってきた。

    それからしばらく知事は白菜の選別作業をする男性のそばで話していたが、やがて禿頭を相手に下げて、職員たちのほうに戻ってきた。

    「駄目ばい……」

    福島は一言つぶやき、無念の表情を見せた。

    「僕がもうちょっと早よう来とれば、何とかなったかもしれんばってん……」

     元々天草のゴルフ場は、昭和六十二年に施行されたリゾート法(総合保養地域整備法)の指定を早くとろうと他県と競争している中で、細川護熙前知事がトップダウンで決めたもので、事前の検討も十分ではなかった。

     七月――

     熊本県東京事務所に勤務していた下村弘之は、東京での任期を終え、熊本に帰る飛行機の中にいた。

     熊本市出身で昭和五十六年入庁の下村は、東京事務所で主にハンドボールの男子世界選手権関係の仕事をしていた。欧州以外で初めて開催された同大会は、去る五月十七日から六月一日までの二週間半の日程で熊本市のパークドーム熊本を主会場として県内三市で試合が行われ、二十一万人の観客を動員して成功裏に終わった。優勝したのはロシアで、日本は決勝トーナメントの一回戦でフランスに敗れた。

     下村の異動先は、交通対策総室の天草班だった。去る四月に田山、福島の二人のほかに一気に三人が加わったので、下村は六人目の班員となる。しかし、就航する航空会社の見通しは相変わらず立っておらず、最近も、兵庫県の但馬(たじま)空港と大阪間などで小型機を運航している日本エアシステムの子会社「日本エアコミューター」(本社・鹿児島県霧島市)から、採算性がないと断られたという話である。

    (いったい、どぎゃんこつになるとか……)

     ハンドボールの男子世界選手権を無事終わらせ、晴れやかな気持ちで帰任するはずだったのが、異動先を聞いたときから、重苦しい気分だった。

     熊本へ飛び続ける飛行機の中で、下村は持っていた『週刊朝日』をなにげなく開いた。

     表紙は巨人の松井秀喜で、去る二月から五月にかけて起きた神戸連続児童殺傷事件の記事が大きく扱われていた。

    (ん、こりゃ、なんな……?)

     ページをめくっていくと、百四十七ページに〈告発! いらない公共事業、第6弾 航空会社が来ないリゾート空港〉という刺激的な見出しとともに、丘陵地帯に造られた無人の滑走路の写真が大きく掲載されていた。

     よく見ると、見出しのそばに「熊本・天草」の文字がある。

    〈飛行機の飛ぶ見通しが立たない空港が、熊本県の天草諸島で建設されている。バブル期のリゾート熱に浮かされて建設が決まったものの、その後の景気低迷で、運航の採算性が見込めない、として就航を引き受ける航空会社がいなくなったのだ。「税金で飛行機を飛ばす」ことも検討されている。〉

    (これはまさに自分がこるから担当せんといかん空港の話じゃなかか!)

     下村は愕然(がく ぜん)として記事に目を走らせた。

     三ページにわたる記事は天草空港だけを取り扱っており、冒頭に「熊本に行くなら車で二時間で行ける」「わざわざ高いカネを出して飛行機に乗って熊本に行く人はいないでしょう」「結局、空港建設で得したのは土建業者だけ」といった住民の否定的な発言が紹介され、本田航空が撤退したことや、空港建設推進の要因だった西武のゴルフ場を中心とするリゾート計画が事実上白紙撤回されたことが書かれていた。

    〈県はやむを得ず、他の航空会社に就航を要請した。要請を受けたうちの一社「長崎航空」(長崎県)は、条件次第では就航してもいい、と前向きで交渉に臨んだ。が、年間三億~五億円と予想された運航に伴う赤字をだれが負担するかについて、「地元市町は負担しきれない」との結論になったため、交渉は決裂。現在、県では、どこかの航空会社に運航をゆだねるという方法はほぼ不可能とみており、県などが運航の主体となることを前提に、運航や整備などについての技術的な支援を受けられないか、日本エアコミューターと交渉している。〉

    (県が、自分たちで航空会社ば作って経営するてか? ほんなこつな……?)

     記事には「税金ば使うて飛行機を飛ばしてもしょんなかですよ」という天草の旅館経営者の言葉も紹介されていた。

     二週間後、『週刊ポスト』にさらに辛辣(しん らつ)な記事が掲載された。「新ニッポン百景」というグラビアに、二ページ大の天草空港の空中写真が掲載され、小説家の矢作(や はぎ)俊彦が〈ようするに欲の皮のつっぱった自治体と企業が、リゾート列島構想の大号令に踊ったのである。しかし、彼らの考えたリゾートというのがホテルとゴルフ場なのだから呆れてものが言えない。そのゴルフ場が白紙になったから、ただそれだけが、飛行場に飛行機がやって来ない理由のすべてなのだ。いかにも、これが「地元」(注・役人と企業)というものの正体なのである。〉と書いていた。

    (イラストレーション/古屋智子)

    ※続きは毎日新聞出版刊行の単行本)()でご覧ください。

    黒木亮

    1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。英国在住。 都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家になる。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』『排出権商人』『鉄のあけぼの』『赤い三日月』『法服の王国』『ザ・原発所長』。ほかに箱根駅伝出場の経験をつづった『冬の喝采』、エッセー集『リスクは金なり』『世界をこの目で』がある。最新刊は『国家とハイエナ』。

    毎日新聞のアカウント

    話題の記事

    アクセスランキング

    毎時01分更新

    1. 安室さんコンサート 療育手帳で入場断られ…「取り返しがつかない」憤りの声
    2. 安室さんコンサート 療育手帳提示で入場できず 返金へ
    3. 株主総会 日産のゴーン氏、謝罪せず 不正検査質問に
    4. プロ野球 広島がリーグ3連覇 27年ぶり本拠地で決める
    5. キャバクラ暴行死 未婚10代母、遠い自立 娘残し無念

    編集部のオススメ記事

    のマークについて

    毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです